分かり合える関係を、求めすぎていないか
「分かり合える関係が理想だ」
そう信じて疑わなかった人ほど、この問いに立ち止まることになります。
価値観が合う。気持ちを察してくれる。言わなくても分かってくれる。
それらは確かに、心地いい。
けれど、関係が壊れていく過程を丁寧に辿ると、
その「心地よさ」こそが、最初の歪みだったケースは少なくありません。
この文章は、
「分かり合いたい」と願った人を責めるためのものではありません。
ただ一つ、問いを差し出します。
あなたは、“分かり合えること”を、どこまで相手に要求していましたか。
「分かり合える」は、気持ちいい
分かり合えた瞬間、人は強い安心を感じます。
説明しなくていい。
誤解されない。
否定されない。
それは一種の報酬です。
「この人となら大丈夫だ」という感覚が、脳内に定着していきます。
だから人は、分かり合える相手を特別視します。
唯一の理解者。
運命の人。
他とは違う関係。
この段階では、まだ問題はありません。
問題が生まれるのは、
「分かり合えている状態を、維持しようとした瞬間」です。
気持ちよさは、依存と似ている
分かり合えた時の安心感は、依存とよく似ています。
違いがあるとすれば、
依存は「不安から逃げる行為」で、
分かり合いは「安心を得る行為」だという点です。
ただし、作用は似ています。
一度その快感を知ると、
人はそれを失うことに強い抵抗を感じるようになります。
「分かり合えなくなるかもしれない」
その可能性が浮かんだ瞬間、
人は無意識に、関係を“元に戻そう”とします。
ここから、静かな圧が生まれます。
完全理解が要求になった瞬間
関係が壊れ始めるのは、
「分かり合えなくなった時」ではありません。
分かり合える状態を、当然の前提として扱い始めた時です。
最初は、ささいな違和感から始まります。
・なんで分かってくれないんだろう
・前は分かってくれたのに
・説明すれば、また分かってもらえるはず
この時点で、すでに「理解」は要求に変わっています。
説明の強要/納得の強要
要求は、次の形で現れます。
- どうしてそう思うのか説明して
- 納得できるように話して
- 分かり合いたいだけなのに
一見、とても誠実な言葉です。
しかし、受け取る側からすると、
これは「理解しろ」という圧になります。
説明できない状態、
言葉にできない感覚、
まだ整理できていない気持ち。
それらが許されなくなった瞬間、
関係には逃げ道がなくなります。
結果、相手は黙るか、合わせるか、距離を取るか、
いずれかを選ばざるを得なくなります。
分かり合えない前提で、関係を置く
ここで一度、前提をひっくり返します。
人は、完全には分かり合えません。
これは悲観でも諦めでもありません。
事実です。
育った環境も、感じ方も、言語化能力も、
その日の体調や余裕も違います。
分からない部分が残るのは、欠陥ではありません。
むしろ、分からない部分が残っているからこそ、
人は安全に並んでいられます。
期待値の設計
関係が安定している人ほど、
相手に対する期待値が低い、という特徴があります。
・分かってくれなくてもいい
・説明できなくてもいい
・今は距離を取りたい日もある
こうした前提があるから、
関係が揺れても、壊れません。
逆に、
「分かり合えるはず」「分かり合いたい」という期待が強いほど、
ズレは致命傷になります。
関係を長く置きたいなら、
期待を下げることは、冷たさではありません。
安全設計です。
それでも分かりたいなら
それでも、分かりたいと思う気持ちは否定しません。
人と深く関わりたい。
心を近づけたい。
それ自体は、とても人間的です。
“理解”ではなく“尊重”に変換する
ここで、言葉を置き換えてみてください。
「分かりたい」ではなく、
「分からなくても、尊重する」。
尊重とは、理解の完成ではありません。
・分からない部分を詰めない
・説明を求めすぎない
・納得できなくても、選択を返す
それは、関係を近づける行為ではなく、
壊さないための行為です。
分かり合えない前提で置かれた関係は、
皮肉なことに、最も長く続きます。
完全理解を目指さないからこそ、
人は呼吸できます。
もし今、
「分かってほしい」という気持ちが強くなっているなら、
それは相手の問題ではなく、関係設計の問題かもしれません。
このシリーズは、答えを出しません。
ただ、
「分かり合おうとしすぎた結果、何が起きるのか」
その構造だけを、置いていきます。
ここで立ち止まる人も、
次に進む人も、
どちらも間違いではありません。
関係を壊さない選択は、
必ずしも、分かり合うことではない。
その感覚だけ、
静かに持ち帰ってください。

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