好かれることと、引き受けることは違う
誰かに好意を向けられると、
人は少し背筋が伸びます。
必要とされている気がする。
選ばれている気がする。
その感覚は、確かに心地いいものです。
けれど、その心地よさの中に、
説明しづらい違和感が混ざる瞬間があります。
断りづらい。
期待を裏切れない。
距離を取ることが、悪いことのように感じてしまう。
この文章は、
好意を否定するためのものではありません。
ただ、「好かれること」と「引き受けること」を、
一度、切り分けて考えてみるためのものです。
好意は、責任ではない
好意は、相手の感情です。
それは相手の内側で生まれ、相手のものとして存在しています。
一方で、責任は選択です。
自分が引き受けると決めたときにだけ、発生するものです。
この二つは、本来まったく別のものです。
しかし、人はよくここを混同します。
好意を向けられた瞬間に、
それを「応えるべきもの」「引き受けるべきもの」に
すり替えてしまう。
そのすり替えは、とても静かに起こります。
自覚がないまま、いつの間にか。
「期待されている」と感じた瞬間に起きること
期待は、言葉よりも早く伝わります。
視線や態度、沈黙や間。
「きっと応えてくれるはず」という空気は、
はっきり言われなくても、感じ取れてしまう。
そのとき、人はこう考え始めます。
「断ったら傷つけてしまうかもしれない」
「期待に応えないのは、冷たいのではないか」
こうして、選択は少しずつ歪みます。
本来は自由だったはずの判断が、
“裏切れない”という感覚に変わっていく。
好意に応えることが、誠実だと思っていないか
多くの人は、誠実でありたいと思っています。
だからこそ、
好意に応えること=誠実、
断ること=不誠実、
という構図を、無意識に作ってしまう。
けれど、誠実さとは何でしょうか。
自分の気持ちや状況を無視して応えることが、
本当に誠実と言えるでしょうか。
誠実さは、
相手の期待を満たすことではありません。
自分の選択を、曖昧にしないことです。
引き受けた瞬間、関係の構造は変わる
好意を引き受けた瞬間、
関係は静かに形を変えます。
対等だった関係は、
少しずつ非対称になります。
選択だったものが義務になり、
自由だった距離が役割に変わっていく。
その変化は、劇的ではありません。
むしろ、とても自然に見えます。
だからこそ、
気づいたときには戻れなくなっていることがある。
好かれ続けるために、自分を使っていないか
必要とされる自分。
役に立つ自分。
求められている自分。
それらは、自尊心を支えてくれます。
同時に、自分を“消耗品”に変えてしまうこともあります。
もし、好かれなくなったら。
もし、役割が終わったら。
そのとき、何が残るでしょうか。
この問いに、すぐ答えが出なくても構いません。
ただ、一度立ち止まって考える価値はあります。
好意を引き受けないという選択
好意を拒否しろ、という話ではありません。
ただ、好意と責任を混ぜない、という選択がある。
それを知っているかどうかの違いです。
好意は、相手のものです。
それをどう扱うかは、あなたが選べます。
この違いが、
関係の未来を大きく分けることがあります。
もし、この感覚が少しでも残ったなら。
あなたはもう、次の視点に触れる準備ができています。

コメント