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善意と理解は、なぜ大人同士では苦しさになるのか

子どもが不安定な日って、あります。

朝の支度でグズったり、急に不機嫌になったり、いつもならできることが急にできなくなったり。

そんなとき私たちは、子どもを想って動きます。

落ち着かせようとする。理由を聞こうとする。先に気持ちを言葉にしてあげる。

ここまでは、よくある日常です。

でも、もし。

「これ、子どもの話だけじゃないかもしれない」

そんな小さな違和感が、胸のどこかに残ることがあるなら。

今日はその違和感を、答えを出さずに、そっと眺める回です。

目次

子どもに対して、私たちが自然にやっていること

子どもが不安定なとき、親として「何かしてあげたい」と思うのは自然なことです。

放っておきたくない。苦しそうなのがつらい。できれば早く元に戻してあげたい。

だから、声をかけます。

「大丈夫?」

「どうしたの?」

「何が嫌だった?」

理由を聞いて、状況を整理して、できるだけ早く“落ち着ける状態”に戻したい。

時には、こちらが先に言葉を用意します。

「眠かったのかな」

「学校で何かあった?」

「それ、イヤだったよね」

こういう行動は、親として普通です。

そしてここでは、良い・悪いの評価をしません。

子どもを想ってやっていることに、
間違いはひとつもありません。

同じことを、大人同士の関係でもしていないだろうか

ここから先は、答えを出す話ではありません。

ただ、視点を少しだけずらしてみるだけです。

パートナーに対して、ついしてしまう関わり

大人同士の関係でも、私たちは似たようなことをしてしまうことがあります。

相手の表情が曇ったとき。

言葉が少なくなったとき。

空気がピリついたとき。

「どうしたの?」と聞く。

「私、何かした?」と確認する。

先回りして察して、機嫌を崩させないように動く。

相手が不機嫌になる前に、場を整える。

話を聞いて、気持ちを整理してあげて、少しでも軽くしてあげたい。

これもまた、善意です。

悪意なんて、ほとんどありません。

「優しさ」のはずなのに、なぜか苦しくなる瞬間

それなのに。

なぜか、心だけが疲れていくことがあります。

ありがとうと言われても、回復しない。

距離が近いはずなのに、安心しない。

相手の感情に振り回されている感覚が抜けない。

優しさのはずなのに、
なぜか心だけがすり減っていくことがあります。

子どもの関わりと、大人の関係は本当に別物なのか

ここで「答え」を出す必要はありません。

ただ、胸に残っている違和感を、否定せずに眺めてみます。

「立場が違うから別」という思い込み

もちろん、子どもと大人は違います。

親とパートナーは別です。

責任も、役割も、できることも違う。

ただ。

「心の反応」まで本当に別物なのかは、少しだけ立ち止まって考える余地があります。

不安になったとき。

分かってもらえないと感じたとき。

自分の存在が揺らいだとき。

人は年齢に関係なく、似た反応をします。

苦しさが生まれる“構造”は同じかもしれない

子どもに対しても、パートナーに対しても。

私たちはよく、こう思っています。

安心させたい。

分かってあげたい。

崩れさせたくない。

そして、その気持ちが強いほど、相手の内側へ入りたくなる。

相手の感情を、こちらで整理してしまいたくなる。

相手の不安を、こちらで消してあげたくなる。

ここに、ひとつの“構造”があるのかもしれません。

もしかしたら、
子どもにしている関わりと
大人同士で起きている苦しさは、
同じところから生まれているのかもしれません。

これは「あなたが悪い話」ではない

ここまで読んで、もし胸が少しだけ重くなったなら。

先に言っておきます。

これは「あなたが悪い話」ではありません。

善意は悪ではありません。

理解しようとする力は、才能です。

ただ、あまり知られていない“仕組み”があるだけです。

苦しくなったのは、
あなたが優しすぎたからではありません。

気づくだけで、今日は十分です(締め)

今日は、答えを出さなくて大丈夫です。

分からなくていい。

立ち止まっていい。

ただ、「子どもの話だと思っていたのに、少し自分の話にも見えてきた」

その感覚が残ったなら、それだけで十分です。

次の記事では、
「分かろうとするほど関係が重くなるのはなぜか」
その理由を、もう少しだけ丁寧に見ていきます。

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