耐え続けた結果、何が起きたのか
※この先は、心の深い部分に触れる内容が含まれます。
この記事は、
誰かを悪者にするためのものではありません。
また、正しい行動を示すものでもありません。
ただ、
実際に起きた経過を、
できるだけ歪めずに残します。
読んでいて苦しくなったら、
途中で閉じても構いません。
それも、正しい選択です。
最初は、ただ好きだった
本当に、最初はそれだけでした。
話していて楽しかった。
感覚が近い気がした。
一緒にいると、満たされる感じがあった。
相手が少し不安定なのも、
「繊細なんだな」くらいにしか思っていなかった。
むしろ、
自分を必要としてくれているように感じて、
悪い気はしなかった。
今振り返れば、
ここがすでに分岐点だったのだと思います。
違和感を飲み込んだ最初の理由
最初の違和感は、とても小さなものでした。
連絡の頻度。
行動への細かな確認。
少しだけ強い感情表現。
でも、そのどれもが、
「好かれている証拠」に見えた。
だから飲み込みました。
「これくらい普通だろう」
「自分が大人になればいい」
「相手を不安にさせたくない」
違和感を感じた瞬間に、
同時に理由をつけて消していたのだと思います。
この時点では、
耐えているという自覚すらありませんでした。
愛情と不安の区別がつかなかった頃
相手が不安になると、
自分が安心させる。
それで関係が保たれるなら、
それは愛情だと思っていました。
でも実際は、
愛情と不安が、
すでに絡み合っていた。
相手の不安が、
自分の存在価値を証明してくれるような、
そんな錯覚もあったと思います。
今思えば、
この段階で境界線は、
かなり曖昧になっていました。
少しずつ増えていったもの
関係は、
ある日突然壊れたわけではありません。
少しずつ、
確実に、
何かが増えていきました。
確認・制限・配慮の増殖
確認が増えました。
制限が増えました。
配慮が増えました。
そのどれもが、
「相手を傷つけないため」という名目でした。
でも実際は、
自分の行動が、
相手の感情基準で決まるようになっていた。
何かを決める前に、
頭の中で相手の反応を予測する。
それが無意識の習慣になった頃、
すでに関係の主導権は、
こちらにはありませんでした。
我慢が美徳にすり替わった瞬間
一番危険だったのは、
我慢を「良いこと」だと思い始めた瞬間です。
「これくらい耐えられる」
「自分が大人になればいい」
「相手は弱っているんだから」
こうして、
我慢は美徳にすり替わりました。
でも我慢は、
貯金ではありません。
確実に、消耗です。
この頃には、
「やめる」という選択肢が、
頭から消えていました。
壊れ始めたのは、関係ではなく自分だった
関係が壊れた、と思っていました。
でも実際に壊れていたのは、
自分のほうだったのだと思います。
感覚が鈍くなる過程
楽しいことが、
楽しく感じなくなりました。
怒りも、悲しみも、
どこか遠くなっていった。
「何も感じない方が楽」
そう思う瞬間が増えていきました。
これは成長ではありません。
麻痺です。
耐え続けることで、
自分の感覚を切り落としていた。
笑えなくなった理由
ふとした瞬間に、
「あれ、最近笑っていないな」
そう気づきました。
でも理由は、
その時点では分かりませんでした。
今なら分かります。
自分で自分を守ることを、
やめていたからです。
この話に、
教訓はありません。
ただ、
同じ場所に立っている人が、
これを読んでいるかもしれない。
次の話では、
「拒否できなくなった男」に、
何が起きたのかを、
さらに深く記録します。

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