前の記事で、
「分かろうとするほど、関係が重くなることがある」
そんな感覚に、少し触れたかもしれません。
今日は、その続きとして、
はじめて「境界線」という言葉を使います。
怖い話ではありません。
誰かを突き放す話でもありません。
むしろ、
これまで苦しくなってきた理由を、
とてもやさしく説明するための言葉です。
境界線は「冷たさ」ではない
「境界線」と聞くと、
こんなイメージが浮かぶ人が多いかもしれません。
拒絶。
壁。
突き放すこと。
だから、境界線を引くことに、
どこか罪悪感を覚えてしまう。
でも本来、境界線は
誰かを遠ざけるためのものではありません。
境界線とは、
線を引くことではなく、
戻れる場所を残しておくことです。
境界線は、
人を遠ざけるためのものではありません。
「入りすぎる」と、なぜ苦しくなるのか
ここで大切なのは、
善意と苦しさは、同時に存在できるということです。
苦しくなったからといって、
動機が間違っていたわけではありません。
善意が向かう方向は、いつも正しい
助けたい。
分かりたい。
支えたい。
これらはすべて、
一貫して「優しさ」から生まれています。
だからここで、
誰かを否定する必要はありません。
問題は「量」と「距離」
苦しさが生まれるのは、
気持ちの方向ではなく、
その量と距離が変わったときです。
相手の内側に、入りすぎてしまう。
感情を、一緒に抱えすぎてしまう。
判断まで、背負ってしまう。
このとき、
優しさはそのままでも、
関係は少しずつ重くなっていきます。
優しさが重くなるのは、
気持ちではなく「距離」が近づきすぎたときです。
距離がなくなると、安心も消えていく
ここで、
感覚的に思い当たる人もいるかもしれません。
なぜか息が詰まる関係
いつも気にかけられている。
何でも分かってもらえる。
一見、とても恵まれた関係です。
でも、どこか息が詰まる。
逃げ場がない。
休めない。
安心は「選べる距離」の中で生まれる
人が安心できるのは、
近づける。
離れられる。
そして、戻ってこられる。
この往復が、
自由にできるときです。
逃げられない優しさは、
安心ではなく、窒息になります。
「距離を取る=冷たい」が生まれた背景
ここで、あなたの罪悪感を、
すべて下ろしておきます。
距離を取ることが苦手なのは、
あなたの性格の問題ではありません。
我慢が美徳。
近いことが愛情。
離れることは、裏切り。
そうした価値観の中で、
多くの人は育ってきました。
距離を取れなかったのは、
冷たかったからではなく、
そう教わってこなかっただけです。
距離があるから、人は自分で戻ってこられる
境界線は、
関係を壊すものではありません。
近すぎない。
でも、いなくならない。
同じ場所で、見ている。
それは、
相手から何かを奪うことではなく、
「戻る力」を返すことです。
離れたのではなく、
戻れる余白を残しただけかもしれません。
ここで離れる人と、残る人
ここまで読んで、
「それでも距離は取れない」
「一緒に抱えたい」
そう思う人も、きっといます。
それも、否定されるものではありません。
一方で、
「あ、これかもしれない」
「少し苦しい理由が分かった気がする」
そう感じた人もいるかもしれません。
その人たちは、
この先に進む準備が、もう始まっています。
次の記事では、
「分かってあげたい」が、いつの間にか“引き受け”に変わる瞬間を、
もう一段、深く見ていきます。

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