「束縛」という言葉を聞くと、
多くの人は、どこか極端な関係や、特別に重たい恋愛を思い浮かべるかもしれません。
けれど実際には、
ごく“普通”とされてきた恋愛の中で、
いつのまにか息苦しさが生まれているケースは少なくありません。
この違和感は、
誰かが悪いから起きているわけでも、
性格に問題があるから起きているわけでもありません。
多くの場合、
私たちが当たり前のように信じてきた前提が、
少しずつズレていった結果として起きています。
この記事では、
「束縛はいけない」「こうすべきだ」と結論を出すことはしません。
ただ、私たちが無意識に信じてきた構造を、静かに見ていきます。
恋愛における「常識」
恋愛には、
いつの間にか共有されている「普通」や「当たり前」があります。
たとえば、
- 「恋人なら、これくらいは気にするもの」
- 「好きなら、連絡頻度はこのくらい」
- 「普通は、こうするよね」
こうした言葉は、
多くの人が悪意なく使っています。
ここで大切なのは、
これらを否定しないことです。
「普通」や「当たり前」は、
多くの人が安心するために作ってきた“共通認識”でもあります。
ただし、
この共通認識は正解そのものではありません。
あくまで
「多くの人が、そう信じてきた前提」にすぎない、
という点だけを、いったん横に置いて見てみます。
安心の外部化
恋愛の中で、
人は自然と「安心」を求めます。
その安心は、しばしば次の形で表れます。
- 相手が連絡をくれれば安心
- 相手が説明してくれれば安心
- 相手が選ばなければ安心
つまり、
「相手が○○してくれれば安心できる」
という形です。
これはとても自然な反応です。
誰かと関係を結ぶ以上、不安がゼロになることはありません。
ただ、この安心の取り方が続くと、
少しずつ次の芽が生まれ始めます。
- 確認したくなる
- 気になってしまう
- 期待が増える
この段階では、
まだ誰も「束縛している」とは感じていません。
本人にとっては、
ただ安心したいだけ。
相手を大切にしているつもりでもあります。
束縛への変質
しかし、
安心を相手の行動に預け続ける状態が長くなると、
関係の中で、少しずつズレが起き始めます。
確認は回数を増し、
期待は暗黙の前提になり、
「してくれるはず」が「するべき」に変わっていきます。
このとき起きているのは、
善意が悪意に変わった、という話ではありません。
ただ、
安心の置き場所がズレてきただけです。
相手を縛ろうとしているわけでも、
コントロールしようとしているわけでもない。
それでも結果として、
関係は少しずつ息苦しくなっていきます。
ここまで来ても、
まだ「悪い恋愛」ではありません。
多くの人が、
気づかないまま通ってきた道です。
この記事でお伝えしたかったのは、
「束縛は異常な行為だ」ということではありません。
むしろ、
束縛は、
どこかで“安心の取り方”がズレた結果として
生まれてくることが多い
という視点です。
次の記事では、
そのズレが、
「好きだから心配」という言葉の中で、
どのように形を変えていくのかを見ていきます

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