カフェの窓辺で、青いランタンが揺れていました。えむくんは吸血鬼のマントを脱ごうとして、襟の飾りを椅子に引っ掛けています。

動かないでねぇ。今、外すから。



かっこよく座るつもりだったんだけどな。帰る時までここにいるしかないか。



そんな理由で長居しなくても、お茶のおかわりはあるよぉ。
留め具が外れると、えむくんは笑って肩を回しました。けれど、テーブルに置いたスマートフォンへ目を落とした時、その笑顔は少しだけ静かになります。このお話は、日常の恋を考えるための創作です。
「会いたい」の続きを、書けなかった





さっき、会いたいって書きかけたんだ。送ってないけど。



書いて、どうしたの?



その先が分からなくなった。会ったら嬉しいと思う。顔を見て、笑って、できれば触れ合いたい。だけど、前と同じ関係に戻りたいかと聞かれたら、そうじゃない。
画面には、短い一文だけが残っていました。会いたい。たったそれだけなら嘘はありません。それなのに、送信ボタンへ指を動かせずにいました。



今夜は仕事が早く終わってさ。こんな夜、前なら話せる人がいたなって思ったんだ。くだらないことを言って、笑ってもらえたなって。



その人と過ごした時間を、思い出したんだね。



うん。でもこれ、寂しさを埋めたいだけなのかな。そんな理由で会いたがるのは、都合がよすぎる?



会えたら、どんな時間にしたい?



相手の近況も聞きたいよ。前に好きだと言ってたものを見つけたから、その話もしたい。僕だけ話して、満足して帰りたいわけじゃない。……でも、僕を好きでいてほしい気持ちもある。



会いたい理由が、ひとつだけじゃないんだねぇ。



そうか。寂しさが混ざっていたら、相手への気持ちまで偽物になると思ってた。
えむくんは画面を伏せました。自分の中から寂しさだけを取り除くより、混ざっている願いを一つずつ見た方が、続きを考えられそうでした。
安心させる言葉が、その場で大きくなる





会えたら、優しくしたいんだよ。でも、そこで困るんだ。『もう寂しい思いはさせない』とか、言いたくなってしまう。



その言葉を言った時、どんな顔をしてほしい?



安心した顔。よかった、また一緒にいられるんだって。
答えたあと、えむくんは口を閉じました。自分が見たい表情の向こうに、相手が思い描く毎日がありました。



でも僕は、毎日連絡するつもりなのか。恋人としてやり直すつもりなのか。そこまで決めていない。笑ってほしくて、その場だけ大きな約束をしてしまうんだな。



その顔を見たら、えむくんも安心できる?



できる。まだ受け入れてもらえるんだって。……相手を安心させたいと言いながら、僕も安心させてほしいんだ。



そこに気づくと、選ぶ言葉が変わりそうだね。



今夜の寂しさが薄くなったあとも、僕が引き受けられる言葉かどうか、だね。
厨房でタイマーが鳴りました。Emiが運んできたのは、小さなかぼちゃのパイ。えむくんは、皿の端に描かれたチョコレートのコウモリを見つめます。



これ、おかわりできる?



今日はあと一つあるよぉ。明日の分は、明日焼ける数を見てから。



今の僕より、ずっと正確な案内だ。



明日のパイまで、今夜の勢いで約束すると大変だからねぇ。
「大切にする」を、相手に想像してもらっていた





じゃあ、『大切にする』なら言ってもいいのかな。そうしたい気持ちは、本当にあるんだ。



えむくんの言う、大切にするって?



会った時には話を聞く。触れ合うなら、お互いが嬉しい時間にしたい。雑に扱いたくないし、会ったあと、急に冷たくしたくもない。



うん。その人が願う『大切にしてほしい』も、同じかな?



そこは聞いてみないと。ただ、前には『次にいつ会えるか分からないのが寂しい』と言われたことがある。僕は会っている間の話をしていたけど、相手は会っていない日も含めて話していたのかもしれない。
えむくんはパイにフォークを入れました。薄い生地がさくりと崩れ、湯気が上がります。



僕の中では正直な言葉でも、相手が別の続きを想像することはあるんだね。『大切にする』と言えば、足りないところを都合よく埋めてもらえていたのかもしれない。



今なら、その続きを自分の言葉で話せそう?



会う時間を一緒に楽しみたい。でも、恋人として戻るつもりは今の僕にはない。触れ合いたい気持ちもある。そこを隠して、ただお茶がしたいだけみたいに誘うのも違うと思う。



それを聞いた人は、どう答えると思う?



そんな関係なら望まない、と言うかもしれない。僕は、その答えを聞くのが嫌だったんだと思う。
正直に話すほど、会える可能性が小さくなるかもしれません。それでも、相手が望む未来を想像したまま頷くことと、今の自分を知ったうえで会うことは、同じではありませんでした。
約束を小さくするだけでは、関係は育たない





先に全部言っておけば、あとは相手が決めること。……と考えたら、少し楽になるんだけど。



決めてもらったあと、えむくんはどう関わる?



ああ。『言っておいたよね』で終わったら、僕の条件をのんでもらっただけだね。



相手にも、会うならこんな時間にしたい、があるかもしれないよぉ。



そうだね。僕が渡せるものの説明ばかりで、相手の話を聞いてなかった。
できないことを並べれば、約束違反は減るかもしれません。けれど、それだけでは、ふたりで過ごしたい時間の形は見えてきませんでした。



僕は何をしたいんだろう。会える時だけ来てもらいたいのか。それとも、一緒に楽しめる時間を、自分でも用意したいのか。



用意するとしたら?



寂しくなった夜に急に呼ぶばかりじゃなく、予定を相談する。相手が行きたい場所も聞く。会ったあとに、楽しかったことは自分から伝える。できない予定は、期待させたまま放っておかずに返事をする。



えむくんから動けること、あるね。



うん。でも、それをやれば僕の望む関係に応じてもらえる、とは思わないようにしたいな。丁寧に誘われても、望まないものは望まないもんね。
フォークを置く音が、静かに響きました。約束を減らして身軽になることより、今の自分が進んで引き受けたい関わりを見つけること。その方が、えむくんには少し難しく、少し楽しみでもありました。
望む答えがなくても、自分から話せる





本音を言って断られたら、やっぱり寂しいだろうな。



うん。会いたかった分、寂しいと思うよ。



そこで『やっぱりやり直せるかもしれない』と、言い直したくなる気がする。会えなくなるのを止めたくて。
えむくんは、冷めかけた紅茶を飲みました。寂しさをなくしてから話そうとすれば、いつまでたっても、自分の気持ちを渡せない気がしました。



断られて寂しいことも、自分で引き受けるんだね。会いたいと言うなら。



そのあと、自分の夜をどう過ごすかも考えておけるよぉ。



作りかけの曲がある。友達と話す時間もある。だから全部平気、とは言えないけど、相手の返事だけで僕の毎日が止まるわけでもないか。



その人に会いたい気持ちは、そのまま残っていてもね。



うん。寂しいから誘わない、じゃなくて、寂しい僕がどう誘うかを選べばいい。
えむくんはスマートフォンを開きました。短かった一文の下へ、少しずつ言葉を足していきます。



『また会って、話したいと思ってる。触れ合いたい気持ちもある。ただ、恋人としてやり直すつもりは、今の僕にはない。前と同じ関係に戻る期待をさせたまま誘いたくなくて、先に話したかった』。……ここまでは、自分の話だね。



うん。続きは?



『あなたは今、僕とどんな関わりを望んでいる? もし話す時間を持ちたいと思えたら、お茶をしながら聞きたい』。
書いた文を読み返し、えむくんは一つ付け加えました。会って話すことに頷いてもらえても、それで触れ合う約束をしたことにはならない。自分が誘うその時間は、ちゃんと話す時間にしよう、と。
明日の自分も守りたい約束を、今夜選ぶ





きれいな誘い文句には、ならなかったね。



えむくんが、何を望んでいるかは見えるよ。



相手の答えによっては、会わない方を選ぶかもしれない。それでも、こんな時間なら一緒につくりたい、と話してみたい。
誰かと温かい時間を過ごしたい。自分を求めてほしい。寂しい夜には、その願いがいつもより強くなることがあります。えむくんの中にも、その気持ちはまだありました。



前は、相手が安心する答えを用意できることが、優しさだと思ってた。今夜は、明日の僕も守りたいと思える約束を渡したいな。



たとえば、何を?



話を聞くために時間を取る。違う答えでも、途中で説得に切り替えない。それから、自分の気持ちが変わったら、態度で察してもらおうとせずに話す。
これなら必ずうまくいく、という約束はありませんでした。けれど、相手の返事を待つ前に、自分で始められることは見つかりました。



よし。まず、この文章をもう一度読もう。相手を引き留めたいだけの言葉が混ざってないか、自分の声で。



お茶、足そうか?



お願いします。あと、さっきのパイをもう一つ。これは今夜の僕が、責任を持っていただきます。



それは頼もしい約束だねぇ。
空いた皿を受け取るEmiにつられて、えむくんも笑いました。マントの襟は、今度は椅子に引っ掛かっていません。席を立つことも、もう少しここで考えることも、自分で選べます。窓辺のランタンが、書き足された画面を淡く照らしていました。
次回の恋カフェには、KaiとLiaが立ち寄ります。同じ『会いたい』を口にしていても、思い浮かべていた時間は違うかもしれません。番外編⑫『同じ「会いたい」でも、望む時間が違っていた』へ続きます。













