カフェの窓に映る自分を見て、Aileは銀色の仮面を少し持ち上げました。
ハロウィン用の飾りはきれいですが、つけたままではメニューの小さな字が読みにくいようです。

今日は、正体を隠してご来店?



そのつもりだったけど、注文する前に正体を明かすことになりそう。
Aileは仮面を外し、テーブルの端へ置きました。Emiが差し出したメニューには、かぼちゃのチーズケーキが描かれています。
前回はLiaと、触れ合えて嬉しい気持ちと、聞いてほしかった話が残る寂しさを見つめました。今日は、その近さに私たちがどんな意味を重ねるのか、Aileと話します。この対話は、日常の関係を考えるための創作です。
「だって、そういう関係だから」の続き





“身体の関係があるから、特別なはず”って思うこと、あるでしょう。あれって、どこまで言えるんだろう。



Aileが気になっている“特別”って、どんなこと?



そこなの。特別と言いながら、いろんな意味をまとめていた気がするのよね。私のことが好き。一緒にいたい。これからも離れない。ほかの人を選ばない。



並べてみると、一つずつ違うねぇ。
Aileはメニューを閉じました。注文は決めたようなのに、指先はまだ表紙のかぼちゃをなぞっています。



前に、親しくしていた人がいたの。会うと優しくて、私も会いたかった。触れ合った時間も、大切だった。でも、私たちはどんな関係なのか、ちゃんと話したことがなかった。



その時は、話さなくても分かると思っていた?



思いたかった、が近いかな。“だって、そういう関係だから”って。そう言えば、聞かずに済んだの。
その人と近くにいられたことは、Aileにとって嬉しい出来事でした。
けれど、その出来事を思い出す時、いつの間にか、まだ交わしていない約束まで一緒に思い浮かべるようになっていたのです。
ひとつの夜に、明日の答えまで預けていた





会えた翌日は安心していたのに、連絡が少なくなると不安になる。それでまた会えたら、大丈夫だって思う。その繰り返しだった。



会えたことで、何が“大丈夫”になったんだろう。



嫌われていない。まだ終わっていない。私を選んでくれている……かな。



その安心があっても、聞きたいことは残っていたんだね。
Aileは小さくうなずきました。
次はいつ会うのか。会っていない日には、どんなふうにつながっていたいのか。お互いに恋人として関わるつもりがあるのか。
近くにいる間は忘れられても、話さないままの問いは、帰宅するとまた顔を出しました。



私、同じ質問の答えを、毎回触れ合いから読み取ろうとしていたのね。



その時間で感じられることもあると思う。でも、“これからも同じ関係でいるつもり?”への答えは、それだけでは決まらないね。



そうか。好きな時間だったことと、未来の話が済んでいることを、一緒にしていたんだ。
一度の触れ合いに、相手の気持ちの全部や、今後の選択まで答えてもらおうとすれば、その後の小さな変化が怖くなります。
昨日は優しかったのに、今日は返事が短い。それだけで、昨日の近さまで偽物に見えてしまう。
Aileは、あの夜に背負わせていたものの多さに気づきました。
約束ではなかったら、意味もなかったの?





でも、“証明にはならない”って言われると、少し悲しいね。あんなに大切だった時間まで、意味がなかったみたい。
Emiはすぐに返さず、Aileの前へケーキを置きました。チョコレートの小さな鍵が、クリームに立てかけてあります。



あの時間の、どんなところが好きだった?



緊張していたのに、途中でふたりとも笑ってしまったこと。私が少し離れたら、急がずに待ってくれたこと。帰る前、好きな曲の話をしたこと。



それは、今も覚えているんだね。



うん。誰とでも同じ、なんて私は思っていない。



その大切さまで、消さなくていいと思うよ。未来を約束したかどうかとは別に、Aileが嬉しかった時間として残せるから。
あの夜が大切だったことを守るために、相手から将来の保証を引き出さなくてもいい。
逆に、将来の約束がなかったからといって、自分が味わった温かさを、愚かだったと切り捨てる必要もありません。



私にとって大切だった。それは、自分の言葉で言えるのね。相手にとってどうだったかまで、同じ答えにしなくても。



うん。その人の感じたことも聞いてみたら、重なる部分や、違う部分が見えるかもしれないね。



“あの時間、私は嬉しかった”からなら話せそう。“あそこまでしたんだから、こう思っているはず”より、ずっと私の気持ちに近い。
近づくことに、違う意味を持たせているふたり


Aileはケーキの鍵を持ち上げました。小さな鍵穴の飾りまでついていますが、開けられる扉はありません。



私にとっては、身体の関係を持つことに、“恋人として付き合いたい”が含まれていたの。でも、それは自分の中にあった意味だった。



その考えを大切にしたまま、相手にも伝えられるよ。



相手も同じ意味で近づいているはずだと考えるより、“私は、こういう関係を望む人と触れ合いたい”って、先に話せたらよかった。
身体の親密さを、恋人としての結びつきに重ねる人もいます。惹かれ合う喜びとして大切にしながら、継続的な交際とは別に考える人もいます。
一人の中でも、相手や時期によって望む形が変わることがあります。性別から、ふたりの意味が同じかどうかは決まりません。



だからって、何も言わなくていいことにはならないよね。相手が恋人になれると期待しているのを知っていて、それには答えずに関係だけ続けるのは。



そうだね。自分が望んでいることや、約束できないことも、相手が選ぶために必要な話になるね。



聞かなかった側だけの責任にしたら、話が違ってしまうもの。
ふたりの意味が違うことと、その違いを相手に知らせず期待を利用することは、分けて考えたいところです。
自分の前提を話す。相手の前提を聞く。違いが分かったら、続けるかどうかも含めて選ぶ。それは、親密さの価値を減らすためではなく、ふたりが自分の意思で関わるための会話です。


証拠を集める手を止めて、私から提案する





私、“私たちって何?”って聞くのが怖かった。名前をつけてと迫るみたいで。



関係の名前を聞くほかに、Aileから話したいことはある?



ある。会っていない日も近況を話したいし、次に会う予定も一緒に考えたい。私は、その人と恋人として関係を育てたかった。



その願いから話してみると、どんな言葉になるかな。
Aileは少し考えてから、メニューの裏に挟まれたメモ用紙を一枚取りました。



“私は、あなたと恋人として付き合っていきたい。会う時間も、会わない日のつながりも、一緒につくりたいと思っている。あなたはどう?”



うん。相手を調べるための質問だけじゃなくて、Aileの望みを渡す言葉になったね。



答えが違ったら怖いのは、変わらないけど。



そうだね。そのうえで、話してつくりたい関係があるんだね。
確実に受け入れてもらえる証拠がそろうまで待つと、Aileの願いはいつまでも相手の行動の陰に隠れたままです。
返ってくる答えを選ぶことはできなくても、自分から提案することはできる。断られる可能性も引き受けて、それでも話したいと思えた時、関係に参加する一歩が自分の側に戻ってきます。



触れ合ったことから“もう恋人のはず”と確定させるより、これから恋人として付き合いたいって、自分から言えばよかったのね。



今の関係や連絡できる距離にもよるけれど、その言い方は、これから出会う人との関わりにも持っていけるね。
あの時間を大切にしながら、次の時間を選ぶ





今日、答えが出た気がする。“身体の関係があることは、何の証明になる?”って、相手の気持ちを確定する方法を探していたけど。私が本当に欲しかったのは、これからを一緒に考える時間だった。
Aileは書いた一行を読み返しました。昔の相手へ今すぐ送るための手紙ではありません。自分が何を望んでいたのか、これからどう話したいのかを確かめる言葉です。



触れ合う時間だけに、全部答えてもらわなくてよくなったねぇ。



うん。嬉しかった時間は、そのまま大切にする。そして、これからのことは、これからの話として渡す。
身体の関係があることだけで、愛情の全体、恋人としての合意、将来の約束まで決まるわけではありません。身体の関係がないことだけで、愛情がないと決まるわけでもありません。
近さの形を一つの採点表にせず、ふたりが何を感じ、何を望み、何を選んでいるかを話していく。その会話も、関係を育てる時間になります。



あの夜が本物だったかを、何度も採点し直さなくてもいいんだね。私にとって大切だったことを伝えて、その先は一緒に考えたい。
あなたにも、近づけた出来事から確かめたい何かがあるなら、“それが証明されたら、私は何ができると思っているんだろう”と考えてみてください。
もっと会いたいと言える。恋人になりたいと伝えられる。次の予定を誘える。
そこに見つかった願いを、証拠がそろう前に、自分の希望として話す道もあります。



鍵は、お持ち帰りにする?



ううん。これは食べる。扉を開けるのは、私の言葉でやってみる。
少し格好をつけてから、Aileは笑いました。チョコレートの鍵は、思っていたより甘かったようです。
次回はRinaが来店します。
「断ったら離れると思うと、私は何を選んでいる?」
一緒にいたい気持ちと、失うのが怖い気持ち。その間にある自分の願いを、見つめていきます。












