Rinaが席に戻ると、テーブルには三つ目のカップが置かれていました。
お菓子の袋を真ん中に置こうとして、えむくんのマントの端に気づきます。
Rina(りな)これ、椅子からまだはみ出てるよ。あとで自分で踏んじゃいそう。



さっきから、僕よりマントの方が場所を取ってるんだよね。
Emiが小さく笑い、三人の皿を少しずつ動かしました。
Rinaとえむくんは、互いの恋の相手ではありません。それぞれ別の関係で感じたことを、このカフェに持ち寄っています。
これからの会話も、すれ違いを考えるための創作です。



ねえ、「身体が目的なんでしょ」って言葉。言われる側には、どう聞こえるのかな。私、そう言いたくなる時に、本当は何を聞きたかったんだろうって考えてた。



僕には、今までの好きも、全部嘘だったと言われたように聞こえた。
Rinaは、袋を開けかけていた手を止めました。
同じ言葉で、別の時間の話をしていた





全部、か。私は、その日に寂しかったことを分かってほしいつもりでも、そこまで届くんだね。



「結局」ってつくと、最初からそうだったと言われた気になるんだよね。相談に乗ったのも、会えて嬉しかったのも、触れるための準備だったのかって。



Rinaは、どんな日に、その言葉が浮かびそう?



たとえば、一緒にいるのに私の話はあまり聞いてくれなくて、触れたい時だけ近くに来る日。嬉しくないわけじゃない。でも、その前に話していた私には、興味がないのかなって。



それなら、触れたい気持ちがあることより、話を聞かなかったことが寂しかった?



うん。なのに「身体目的じゃないよ」で終わると、私が寂しかったところには、何も返ってきてない感じがする。
えむくんは、少し黙りました。
自分なら、身体だけではなかった証拠を探し始めていたかもしれません。その間、相手は、目の前の寂しさについて話したかったのかもしれないのです。



僕は昔の気持ちを守ろうとして、相手は今日の接し方を話そうとしている。そういう食い違いもあるのか。



うん。「いつの、どんなことを話している?」って、一度戻れるとよさそうだねぇ。
同じ言葉が出ていても、一方はその日の出来事を、もう一方は関係全体への評価を聞いている。
それぞれには答えているつもりでも、会話がすれ違ったまま進むことがあります。
「触れたい?」だけを聞きたかったわけじゃない





触れたいかって聞いたら、触れたいって答えるよね。私も、好きな人に触れたいことはあるし。



そこを、ないと言わないと安心してもらえないのかと思うと、困るんだ。



私は、触れたくなくなってほしいわけじゃないな。……そうだ。「触れ合わない時間にも、私と一緒にいたい?」って聞きたいんだと思う。
言ってから、Rinaはカップに視線を落としました。短い問いになった分、自分の欲しかったものが、近くに見えたようでした。



それなら、何を聞かれているか分かる。でも、相手が「今は身体の関係だけを望んでいる」と答えることもあるよね。



その答えは、私は寂しい。普段のことも話して、恋人として関わりたいから。



そこまで聞けると、触れたい気持ちがあるかだけでは足りないんだね。どんな関係を、ふたりで持ちたいかの話になっている。
「身体目的」という言葉の中には、いくつもの問いが入ることがあります。
性的に惹かれているのか。日常も分かち合いたいのか。自分が望む関係を、一緒に選ぶ気持ちがあるのか。
一つがYESでも、ほかの答えまでは決まりません。聞きたいことを分けると、欲しかった答えも、まだ聞けていなかったことも見えてきます。



僕は「身体だけじゃない」と言えば、全部説明できたと思ってた。でも、その先を何も話していなかったんだな。



私も、違うって言われたら、私が欲しい関係を相手も望んでいることにしてたかもしれない。
怖かったから、先に答えを決めてしまった


Rinaが袋を開けると、猫の形のクッキーが三枚出てきました。どれも、少しずつ顔が違います。



でも、私の方にもあると思う。まだ何も確かめてないのに、「どうせ身体だけでしょ」って先に言いたくなる時。



どうして、先に?



信じて待って、違った時が怖いから。最初から分かっていたってことにすれば、期待していた自分が少し隠れる気がする。
Rinaは、猫の顔がこちらを向くように皿へ置きました。



「私は、あなたと恋人として過ごしたい」って言うのは怖いんだよね。「どうせあなたは」って話している間は、私の願いをはっきり見せなくて済むから。



それを聞く側は、もう何を言っても信じないんだろうなって思うことがある。相手を好きだと話す前に、自分が悪い人じゃない説明を始めてしまう。



近づきたくて言った言葉なのに、相手は自分を守る方に行くんだ。



そういうやり取りもありそうだね。今話してくれたのは、Rinaが自分の中で気づいたこと。実際の相手が同じ理由で言ったかは、その人にも聞くところだね。
先に相手を見下したような言い方をして、自分が傷つく場所から離れようとする。そんな場面があったと、Rinaは振り返りました。
その言い方を受けた側が、傷つかないわけではありません。怖さがあったことを理解することと、何度でも言われるままにすることは、別に考えられます。



私が怖かったことは話したい。でも、だからあの言い方でよかった、にはしたくないな。
本音が分かったら、全部許せるわけじゃない





寂しかったんだと分かれば、僕も少し聞き方が変わると思う。でも、いつも僕がその奥を読まないといけないのかな。



それは、疲れるね。私も、何を言われても「本当は好きだからだよ」で受け取るように言われたら、困る。



ふたりとも、自分が言った言葉についても話せるといいね。奥にある気持ちを、相手だけに探してもらう形にしないで。
えむくんは、カップの持ち手から指を離しました。



僕なら、「僕の気持ちを最初から嘘と決められると、話し続けるのが苦しい。何が寂しかったのかは聞きたい」って言いたかった。



私なら、「身体のことばかりだと感じたのは、話しかけても返事が短くて、会う予定もそういう時ばかりだったから」って話すかな。



具体的に聞いたら、僕にも覚えがあるかもしれない。そこでまた「そんなつもりじゃない」で終わらせたら、何も変わらないね。
相手の意図が分からなくても、起きたことについて話せます。
約束が守られなかった。断ったら責められた。説明が変わった。そうした出来事があるなら、相手の心を読めないことを理由に、見ないふりをする必要はありません。



本当は好きだったって言われても、その時の扱いが嫌だったことは残していいんだよね。



うん。僕も、不安だったんだと聞いても、言われて傷ついたことは残る。それは同じだと思う。



それぞれに残っていることを、聞けたね。どちらも傷ついたから同じだけ悪い、と決めずに、何があったかを一つずつ話していきたいねぇ。
同じ言葉を、問い直してみる


Emiは、使っていない小さなメモを二枚、テーブルへ置きました。



今の話で、自分が本当は聞きたかったことを、一つだけ書いてみる?



お菓子の感想カードだ。今日は、ずいぶん重い感想になりそう。



僕は猫の顔を一つ選ぶだけでも迷ってるのに。
少し笑ってから、Rinaがペンを持ちました。



「私は、触れ合う時間も好き。でも、何でもない話をしたり、一緒に出かけたりする関係も欲しい。あなたは今、私とどんな関係でいたい?」。これかな。



「身体目的じゃない」と答えるだけじゃ、足りない質問になったね。



うん。私が聞きたかったところに、答えてもらいたい。



僕は……「会って触れ合いたい気持ちはある。でも、今は、前と同じように日常を分かち合えるか迷っている。そのまま会う約束をする前に、話しておきたい」。
Rinaのペンが止まりました。



それを相手から言われたら、私はつらいと思う。「じゃあ、今は会いたくない」って答えるかもしれない。



……そうだよね。正直に言ったんだから分かってよ、って言いたくなるけど、それじゃ、答えを変えてほしいのと同じか。



話してくれたことを受け取っても、その関係を選ぶかは別なんだね。



うん。ごまかされるより、知りたい。でも、知ったあとも一緒にいられるかは、私も考えたい。
今のやり取りは、ふたりがそれぞれの立場から試した会話です。実際の相手が同じ返事をするとは限りません。
それでも、聞くことにも、話すことにも、望んだ結末にならない可能性がある。その怖さを、ふたりは少し具体的に感じていました。
分かり合うことと、同じ関係を選ぶこと





本音を話せば、うまくいくと思いたかったな。



私も。相手の本当の気持ちが分かれば安心できると思ってた。でも、安心できる答えとは限らないんだね。



話したことで、違いが見えることもあるね。そこから、ふたりで選べる関わり方があるか考えられる。今はないと分かることもあると思う。
Rinaは書いたカードを折らずに、自分のカップの横へ置きました。



それでも、「どうせ身体だけ」って言って終わるより、私が何を望んでいるのか、自分で分かった気がする。



僕も、「全部嘘じゃない」で止まっていたら、今の気持ちは話せなかった。昔の好きだけで、今の関係まで続けてもらおうとしていたのかもしれない。
愛情があったかどうかを裁く言葉から、今のふたりが何を望むかを話す言葉へ。
今日、三人のテーブルで変わったのは、相手の気持ちそのものではありません。自分が何を聞き、何を伝えたいのかが、少し見えるようになったことでした。



読んでいるあなたにも、「身体目的」という一言にまとめたくなる気持ちがあったら、少しだけほどいてみてほしいな。
何が起きて、何が寂しくて、本当はどんな関係を望んでいたんだろう。
自分の言葉にできたら、それだけで今日は終えても構いません。伝える時も、相手の意思や今の距離を踏まえて選べます。
不安を消すために身体で愛情を証明する必要も、愛情を証明するために欲求がないふりをする必要もありません。どんな気持ちがある時も、相手が何を望み、何を望まないかを聞く余地は残しておきたいのです。



あ、猫のクッキー。えむくん、その顔が気になってたんじゃない?



うん。でも、Rinaも見てたから。



私、こっちの眠そうな子がいい。



聞いてみたら、違う子だったねぇ。


三人がそれぞれのクッキーを選んだ頃、入口の鈴が鳴りました。
Kaiが店内を見渡し、空いている席へ手を上げます。
次回は「触れたい気持ちを、悪者にしなくていい」。
今度はKaiと一緒に、欲求を持つ自分と、相手を大切にしたい自分について話していきます。











