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大きくも、小さくも見せなくていい|虚勢と過剰な遠慮を手放し、自分らしく力を使う

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会議で、同じ数字を二つの表へ入力している話が出た。

片方から取り込むようにすれば、作業は減らせそうだ。前に似たものをつくったこともある。

そう思って、口を開きかける。

けれど、先に別の場面が浮かんだ。

「詳しいんだね。じゃあ、お願いしていい?」

今回も、そこから先は全部、自分の仕事になるかもしれない。

例えば、そんな経験を重ねてきた人が、その日も会議に座っているとする。

「僕は、その辺りはあまり……」

そう答えて、自分の作業へ戻る。

仕事は増えなかった。今日の予定も守れそうだ。それなのに、少しだけ気持ちが残る。

本当は、あの仕組みを変えることには興味があった。

ただ、いつまでも一人で面倒を見る役まで、引き受けたかったわけではない。

前回は、「普通は」の先に、自分の願いを置くことを考えた。

今回は、その願いへ向かうために持っている力を、僕たちがどんなふうに見せたり、隠したりしているのかを見てみたい。


目次

できないふりで、守ってきたものがある

仕事が早く終わると、次の仕事が来る。

困っている人を助けると、次からは最初に自分へ相談が来る。

気づいたところを直しておくと、いつの間にか「そこは、あの人が見てくれる」ことになっている。

一つずつは、できることだった。相手も、助かったと思っているだろう。

でも、その一つずつが積もって、自分がやりたかったことへ使う時間が減っていく。

だから、気づいても言わなくなる。知っていても、知らない顔をする。

僕は、その振る舞いを、ただ消極的だとは思わない。引き受けたあとで断りにくかった人が、入口で自分を守ろうとしていることもある。

ただ、その守り方を続けた先にも、起きることがある。

冒頭の人が、後日、新しい仕組みを試す打ち合わせが始まったと知る。

面白そうだと思った。今度こそ、そこへ関わりたかった。

けれど、自分には声がかからなかった。

周りには「その辺りは詳しくない人」と伝わっていたからだ。

本人が隠したかったのは、何でも引き受けられる余裕がないことだった。それを、能力がないという形で伝えていた。

周囲からは、二つの違いが見えない。

頼まれたくなかった仕事と、参加したかった仕事が、同じ返事の向こうへ遠ざかってしまった。

自分を小さく見せることで守れた時間がある。その一方で、使いたかった力の行き先まで見えなくなることがある。

僕は、そこを分けられないだろうかと思う。


大きく見せた自分にも、助けが届かなくなる

反対に、自分を大きく見せて守ろうとする場面もある。

「それくらい、分かっています」
「前にもやったので、大丈夫です」

軽く見られたくない。任せてもらえる人でいたい。ここで分からないと言えば、これまでの評価まで下がるような気がする。

そうして引き受けたあと、知らない条件が出てくる。

似た経験はあっても、今回は初めての部分がある。途中で確かめたかったこともある。

でも、先に「大丈夫」と言ってしまった。

今さら聞けば、分かっていなかったと知られてしまう。そう思うほど、質問するまでの時間が長くなる。

周りは、その人が困っていると気づかない。

「できると言っていたから、任せておこう」

そう受け取ることもあるだろう。

本人は自信のある姿を保ち、周りは順調だと思って待つ。その間に、一人で抱える仕事だけが重くなっていく。

小さく見せたときには、力を使う機会が届かなかった。大きく見せたときには、必要な助けが届かなくなる。

自分の見せ方を整えていたはずが、一緒に働くために必要な情報まで、見えなくしていたのかもしれない。

僕は、できるところを知ってもらいたい。同じくらい、まだ分からないところも、相談できる形にしておきたい。

「似たものはつくったことがあります。この条件は初めてなので、確認しながら進めたいです」

そう言えたら、相手と話せることが増える。

Mkun(えむくん)

できないふりをしていたら、やりたい仕事まで届かなくなる。何でもできる顔をしていたら、助けが必要なところが伝わらなくなる。今の自分が見えることって、一緒に何かをするためにも大切なんだね。

Aile(エイル)

能力、経験、使える時間は、それぞれ異なる情報です。どこに経験があり、何が未確認なのかが分かると、役割や協力の仕方を具体的に考えられます。


先に気づく人が、いつも引き受ける人になる

自分の見せ方には、その場所で経験してきたことも影響している。

例えば、会議で「このままだと、月末に数字が合わなくなるかもしれません」と伝えたとする。

すると、「気づいたなら、確認しておいて」と返ってくる。

改善案を出せば、実装も自分。問題を見つければ、調査も自分。直したあとの問い合わせも、自分へ来る。

こういうことが続けば、気づいたことを話す前に、増える仕事を数えるようになる。

僕は、それを本人の勇気だけの問題にしたくない。

気づいたことを共有するたびに、予定になかった担当まで増えるなら、黙っている方が暮らしを守りやすくなる。

そして、黙る人が増えれば、その場には、誰かが気づいていた問題も見えなくなる。

表面上は、誰も困っていない。会議も静かに終わる。

その静けさが、皆が納得している結果なのか。それとも、言ったあとに起きることを知っている結果なのか。

僕は、そこまで見たい。

自分にも、気づいたら最後まで直したくなるところがあるかもしれない。途中で任せる説明より、自分で終わらせる方が早い。それで引き取ってきたこともあるだろう。

ただ、それがいつも続く形になったとき、誰がどこまで持つかを、改めて話す必要がある。

気づける力を、黙るために使い続けたくはない。

その気づきを出しても、一人で全部を背負わずに済む関わり方を考えたい。


相手の顔を立てるために、考えまで消していないか

自分の意見を引っ込める理由は、仕事が増えることだけではない。

上司が説明している途中で、別の方法を思いつく。

長くその仕事をしてきた人がいる。その人の前で、新しい方法を話したら、これまでのやり方を否定したように聞こえるだろうか。

自分には、改善できそうなところと、話したあとの空気が、同時に見えている。

だから、何も言わない。

その気遣いで、穏やかに過ぎる時間もあると思う。

ただ、相手がどう受け取るかを、こちらだけで決めていないだろうか。

その人は、誰かの提案を待っていたかもしれない。今の方法を変えたいけれど、手をつける余裕がなかったかもしれない。

「この人は、別の案を出されると嫌がる」

そう予想して口を閉じることで、相手が新しいものを受け取る機会まで閉じてしまうこともある。

もちろん、過去に提案を強く退けられた経験があるなら、その事実も考える材料になる。

それでも、いつ、誰に、どの範囲で話すかは、工夫できる場合がある。

会議のあとで、「重複入力を減らせそうな方法を思いつきました。今の手順にしている理由を、先に教えてもらえますか」と聞いてみる。

すると、自分が知らなかった確認の役割が、その手順に含まれていると分かるかもしれない。

自分が見つけた改善点も、相手が守っていた条件も、話して初めて同じ場所へ並ぶ。

気づくことが早い場面でも、事情を全部知っているとは限らない。

僕は、自分の考えを持ったまま、相手の知っていることも聞けるようでいたい。


「できます」のあとに、自分の選択を置く

冒頭の会議へ、もう一度戻ってみる。

「この二つの表なら、入力をまとめる方法は考えられます」

今度は、自分の知っていることを、そのまま伝える。

ただ、そのあとに「全部やっておきます」と続ける必要はない。

「一度試してみたいです。今の担当を進めながらなら、今週できるのは試作までです」

自分の興味と、使える時間も伝える。

試作を見てから、実際に使うかを決める。運用を誰が担当するかは、別に相談する。

そうすると、「できるか」という話の先に、「何を引き受けるか」という話が生まれる。

もし、今週中に全部完成させてほしいと言われたら、現在の仕事の何を調整するかも話せる。

「今の仕事と両方を、今週中に終えることはできません」

それは、自分の技術を小さく言い直さなくても伝えられることだ。

得意な作業でも、引き受けない日がある。まだ慣れないことでも、条件を相談して挑戦したい日がある。

自分の力の使い道に、自分の希望を含めていい。

もちろん、伝えた範囲が守られず、「結局できるでしょう」と仕事が集まる場所もある。そのときは、担当や優先順位を決める人に調整を求めたり、関わる範囲や場所を見直したりすることも必要になる。

自分だけが上手に説明すれば、どんな環境でも解決するという話ではない。

僕が持ちたいのは、能力を隠すこと以外にも、自分の時間を守り、望む仕事へ参加する選択肢があるという感覚だ。

Mkun(えむくん)

「できる」と言うときに、「どこまで引き受けたいか」も話してみたいね。自分の力を知ってもらいながら、自分の時間や、やってみたいことも同じ場所へ置いていいんだ。

Aile(エイル)

提案、試作、導入、その後の運用では、必要な時間や役割が異なります。最初の申し出に全部を含めず、進める段階ごとに担当を相談することもできます。


今の自分が見えると、一緒に進む形が変わる

その後の打ち合わせで、試作を見せる場面を想像してみる。

一部の入力は減らせた。でも、まだうまくつながらないところがある。

以前なら、全部できるまで見せなかったかもしれない。あるいは、頼まれるのが嫌で、最初から案を出さなかったかもしれない。

今は、「ここまでできました。こちらの条件は、相談したいです」と話している。

別の人が、その条件を知っている。実際に使う人から、気づかなかった使いづらさも教えてもらう。

一人で思いついた案に、自分にはなかった情報が加わっていく。

全部を分かっている人として座らなくても、その場に参加できる。役に立つ力を持っていることと、誰かの力が必要なことが、同時にあっていい。

僕は、そんなふうに人と進めたらと思う。

舐められないように、大きく構える。頼られないように、小さく振る舞う。

その調整を続けていると、自分がどう見えるかには詳しくなっても、自分が何をしたかったのかを置き去りにすることがある。

前回、見つめた自分の願いを、ここへ戻したい。

今の力で、何をつくりたいのか。誰と、どんなことに関わりたいのか。そのために、何を学びたいのか。

僕にとって大人3.0は、自分の力を知ったうえで、その使い道にも自分の意思を持つ生き方だ。

大きくも、小さくも見せなくていい。

できるところを伝え、分からないところを尋ね、引き受けることを選ぶ。

そうして持てた時間を、自分が楽しみにしていたことにも使いたい。

そして、力を使い始めると、今度は別の問いが生まれる。

できる自分が、どこまで手を出すか。

次の話では、誰かの助けを求める声に応えるとき、相手が自分で考え、進めるところをどう大切にするかを考えたい。

自分の力を隠さずに使うこと。その力で、相手の出番まで埋めてしまわないこと。

その両方を持ちながら、僕は自分の道を進んでいきたい。

えむくん
Person
Mkun編集室 室長

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