僕は、一度決めたことを変えない人が、必ずしも強い人だとは思っていない。
むしろ最近は、逆なんじゃないかと思うことがある。
新しいことを知った。
状況が変わった。
相手を以前より理解できるようになった。
自分自身も変わった。
それなのに、
「前にこう言ったから」
という理由だけで、昔と同じ答えを出し続ける。
それは本当に、一貫性なんだろうか。
僕には時々、自分が過去に出した答えへ、現在の自分を従わせているように見える。
Mkun(えむくん)「一度言ったことは最後まで変えない」。
これ、強そうに見えるよね。
でも僕は、「変えないこと」と「自分を持っていること」は別だと思ってる。
もちろん、何でも気分で変えればいいと言いたいわけではない。
約束をしたなら、その約束には相手がいる。
自分の判断で誰かへ影響を与えたなら、その結果まで「気が変わったから」で消せるわけではない。
でも、それと「考えを変えてはいけない」は別の話だ。
僕たちは毎日、新しい情報を受け取っている。
昨日知らなかったことを、今日は知っている。
半年前には怖かったことが、今はそれほど怖くないこともある。
以前なら許せなかったことを、今なら違う角度から見られることもある。
反対に、以前は平気だったものが、今はもう受け入れられないことだってある。
人間が変化する存在なら、答えだって変化して当然なんじゃないだろうか。
「あの時の答え」が間違いだったとは限らない
考えを変えることが難しくなる理由の一つに、
「今の答えを選んだら、昔の自分が間違っていたことになる」
という感覚があると思う。
でも僕は、そうは考えない。
あの時の自分には、あの時の自分が見えていた世界があった。
持っていた情報があった。
守りたかったものがあった。
怖かったものがあった。
その中で出した答えだったのなら、まずはそれでいい。
今になって違う答えが出てきたからといって、過去の自分を裁判にかける必要はない。
「あの時は、そう思っていた」
そして、
「今は、こう思っている」。
僕の中では、この二つは普通に両立する。



過去の自分を否定しなくても、答えは変えられる。
僕はここ、すごく大事だと思ってる。
「あの時の私も本当。今の私も本当」でいいんだよ。
たとえば、ある場所から離れると決めた人がいる。
その時は、本当に苦しかった。
だから離れた。
半年後、状況が変わった。
自分も変わった。
もう一度そこへ行ってみたいと思うようになった。
その時、
「でも私は、もう行かないって言ったから」
と、自分の心を止める必要があるんだろうか。
僕はないと思う。
逆も同じだ。
ずっと続けると決めたことを、今はもう続けたくないと思うこともある。
以前のYESを、今の自分がNOへ変えることだってある。
大切なのは、昔の答えを永遠に守ることではなく、その時その時の現実と自分を見ながら、答えを引き受けていくことなんじゃないだろうか。
「前に言ったよね」は、とても強い鎖になる
人は、自分の言葉に縛られる。
それは他人から責められるからだけではない。
自分自身が、自分へ言うからだ。
「私、前にこう言ったよね」
「今さら変えたら格好悪いよね」
「都合が良すぎると思われるよね」
「ブレていると思われるよね」
「信用されなくなるかもしれない」
そうやって、まだ誰にも何も言われていないのに、自分で自分の選択肢を減らしていく。
僕は、この鎖は意外と強いと思っている。
社会でも似たような場面を見る。
公の立場にいる人が以前の発言を変更すると、
「前と言っていることが違う」
と批判されることがある。
もちろん、説明もなく都合よく主張を変えたり、責任から逃げるために前言を翻したりするなら、問われるのは当然だと思う。
でも、新しい事実が分かった。
前提条件が変わった。
以前の判断ではうまくいかなかった。
だから理由を説明して、次の判断へ更新する。
僕は、それまで全部「ブレ」と呼んでしまう社会の方が、少し怖い。
変えたら叩かれる。
だったら間違っていると気づいても、変えない方が安全になるからだ。



僕が欲しいのは「絶対に間違えない人」じゃない。
間違った時、状況が変わった時、新しいことが分かった時に、
「じゃあ、今はどうする?」
って考え直せる人。
僕はそっちの方が強いと思ってる。
変えない強さと、変えられる強さ
一貫性には価値がある。
簡単に投げ出さない。
その日の感情だけで約束を壊さない。
自分が大切だと思う理念を持ち続ける。
これは僕も大切にしたい。
でも、一貫性を持つ対象を間違えると苦しくなる。
僕が一貫していたいのは、「昨日と同じ答え」ではない。
自分が大切にしたいものだ。
自分の人生を、自分で選ぶこと。
関わる人の選択も尊重すること。
自分の心にも、相手の心にも、できるだけ嘘をつかないこと。
現実を見ながら、自分が望む未来へ進むこと。
僕は、そこには一貫していたい。
そのために昨日と違う答えが必要なら、僕は答えを変える。
これは、車を運転する時にも少し似ている。
目的地を決めたからといって、ハンドルを最初の角度に固定したまま走る人はいない。
道は曲がる。
風が吹く。
工事をしていることもある。
予定していた道が通れないこともある。
現在地を見て、その都度ハンドルを動かす。
これは迷走ではない。
目的地へ向かうための修正だ。
制御という考え方でも、現実の状態を観測しながら入力を調整していく仕組みがある。
僕は人生も、それに近いところがあると思っている。
これは僕が世界を見るための比喩だけれど、僕にはしっくりくる。
現実を観測する。
結果を見る。
自分の心を見る。
そして必要なら更新する。
最初に決めた操作を、最後まで固定することが目的ではない。
自分が本当に行きたい場所へ近づくことが目的だからだ。
「変える」と「責任を消す」は違う
ここは、僕の中ではかなり大切な線になる。
答えは変えていい。
でも、以前の答えによって起きたことまで消えるわけではない。
昨日NOと言ったことで、相手が離れたのなら、その人はそのNOを受け取って行動している。
昨日YESと言ったことで、誰かが予定を変えたのなら、その影響もある。
だから、
「気が変わったんだから、察してよ」
とはならない。
自分の答えを更新したなら、必要な相手には更新したことを伝える。
そして相手にも、今の答えを選んでもらう。
僕は、ここまで含めて「自分で選ぶ」だと思っている。



自分の答えを変える自由はある。
でも、相手の答えまで一緒に変更する権利はない。
ここは別々なんだよね。
たとえば、自分が以前断ったことを、今はやってみたいと思うようになった。
それなら、
「前は嫌だった。でも今は少し違う」
と伝えることはできる。
でも相手が、
「僕はもう違う道を選んだ」
と言う可能性もある。
それも相手の現在だ。
自分が変わる自由を認めるなら、相手が変わる自由も同じように認めたい。
僕が考える心の自由は、自分だけが何でもできる世界ではない。
お互いが、自分の現在を持てる世界だ。
人間関係では、昔の言葉が特に残りやすい
仕事や趣味より、人間関係ではこの問題がさらに難しくなる。
なぜなら、言葉の向こう側に人がいるからだ。
「もう頼らない」
「もう会わない」
「もう戻らない」
「もう期待しない」
そう決めなければ、自分を守れなかった時もあると思う。
だから僕は、そんな言葉を簡単に「本心じゃなかった」とは言いたくない。
その時は、本当にそうだったのかもしれない。
そのNOが必要だったのかもしれない。
離れることで、やっと自分を取り戻せたのかもしれない。
だったら、そのNOには意味がある。
でも。
時間が経ったあとも、同じNOでなければならない理由まではない。
話してみたら、以前とは違った。
怖くなかった。
相手も変わっていた。
自分も変わっていた。
以前なら苦しかった距離が、今は心地よかった。
そんな新しい現実が増えた時まで、
「私は前にNOと言った人だから」
という役を演じ続けなくていいと、僕は思う。



NOを言えたことは強さ。
そして、必要がなくなったNOを更新できることも強さ。
僕は両方あっていいと思う。
自分の言葉を守るために、自分の心を裏切らない
少し不思議なことがある。
人は「自分の言葉に責任を持つ」ために、自分の現在の心へ嘘をつくことがある。
以前、
「もうやらない」
と言った。
だから、本当はやりたいのにやらない。
以前、
「もう必要ない」
と言った。
だから、本当は必要なのに必要ないふりをする。
以前、
「平気」
と言った。
だから、本当は寂しいのに平気な顔を続ける。
それを続けていると、いつの間にか、自分の人生を生きるための言葉が、自分の人生を縛る鎖になる。
僕は言葉を軽く扱いたいわけじゃない。
むしろ逆だ。
言葉を大切にしたいからこそ、今の自分と言葉がズレた時には、そのズレをそのまま放置したくない。
「前はこう言った。でも、今はこう思っている」
これは前言をなかったことにする言葉ではない。
過去と現在を、両方引き受ける言葉だと思う。
大人3.0は、答えを固定することではない
僕がMkun世界観測室で考えている大人3.0は、正解を一つ手に入れて、それを一生守り続けるためのものではない。
僕は、自分の理想を持ちたい。
時間の自由を増やしたい。
お金の自由を増やしたい。
心の自由を増やしたい。
世間の平均的な正解だけを理由に、自分の人生の可能性を閉じたくない。
そのためには、理想を思い描くだけでは足りない。
現実を見る。
行動する。
結果を見る。
そして更新する。
僕にとっては、この循環が必要になる。
理想。
選択。
行動。
観測。
更新。
そしてまた、次の選択。
僕は、この繰り返しによって、自分の人生を自分の望む方向へ近づけていきたい。



「昨日の自分と違う」って、そんなに怖いことじゃない。
昨日より世界を知ったから、違う答えになった。
それなら僕は、むしろ前へ進んだ証拠だと思うこともあるよ。
もちろん、変えれば必ず良い未来になるわけではない。
変えた結果、失うものもある。
相手に受け入れてもらえないこともある。
自分の予想とは違う結果になることもある。
だから観測する。
また選ぶ。
僕が欲しいのは、絶対に失敗しない人生ではない。
失敗しても、状況が変わっても、想定外のことが起きても、そこからまた選べる人生だ。
その方が、僕にとってはずっと自由だ。
「今はどう思っている?」と、自分に聞き直す
もし今、
「前にそう言ったから」
という理由だけで続けていることがあるなら、一度だけ、その言葉を外して考えてみてもいいと思う。
前に何と言ったかではなく、
今の私は、どう思っている?
今も同じものを望んでいる?
今も同じものが怖い?
今も同じNOが必要?
今も同じYESを選びたい?
答えが以前と同じなら、それでいい。
変わっているなら、それもいい。
まだ分からないなら、無理に決めなくてもいい。
大切なのは、昔の自分に現在の人生を全部決めてもらわないことだと、僕は思う。



昔の自分は、敵じゃない。
あの時の自分が守ってくれたものもある。
だから感謝していい。
そのうえで、
「ここからは今の僕が選ぶね」
って、バトンを受け取ればいいんじゃないかな。
僕は、一貫している人になりたい。
でも、昨日と同じことを言い続ける人になりたいわけではない。
自分が大切にしたいものを見失わず、現実が変われば考え、必要なら答えを更新できる人でいたい。
前言を変えることより怖いのは、
本当はもう違うと分かっているのに、
「前にそう言ったから」
という理由だけで、自分の残りの時間を使い続けることだ。
人生は動いている。
人も動いている。
関係も動いている。
自分の心だって動いている。
なら、答えだけが永遠に止まっていなければならない理由はない。
あの時の答えは、あの時の自分が出した。
今日の答えは、今日の自分が選べばいい。
そして明日、新しい景色が見えたなら。
またそこで、自分に聞けばいい。
「今の僕は、どうしたい?」
僕はその問いを持ち続けることが、心の自由を増やしていく一つの方法だと思っている。
一度決めたことを変えるのは、弱さじゃない。
変えないことが強さとも限らない。
現実を見て。
自分の心を見て。
相手がいるなら、その人の選択も残して。
それでも、自分の人生をもう一度選ぶ。
僕は、そんな柔軟さを持ったまま、自分の理想へ進んでいきたい。











