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いくつになれば、人生を楽しめるのだろう|悩み続けることを、人生の前提にしない

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「悩みは誰にでもあるもの」

そう教えられたかもしれない。

でも僕は、悩み続けることまで、人生の前提にしたくない。

悩みを抱えながら生きることと、悩みを越えながら生きることは違う。

いくつになれば、悩みから解放され、自分の人生を楽しめるのだろう。

若いころは、経験を積めば、もっと楽になると思っていた。

仕事を覚えれば。生活が安定すれば。子どもが大きくなれば。もう少しお金に余裕ができれば。

ところが、一つ落ち着くと、次に気になることが出てくる。

以前なら困っていたことにも対応できる。人の事情も分かる。先のことも考えられるようになった。

それなのに、自分の時間は、いつも何かへの対応で埋まっている。

一日を無事に終えたあと、「今日、自分は何を楽しんだだろう」と思う。

例えば、そんな夜を重ねている人がいるとする。

その人は、いつになれば十分に大人になり、人生を楽しんでよいのだろう。

第1話では、海やプールを選ぶように、物事を考え始める場所も選べるのではないかと書いた。

今回は、「全部落ち着いたら、人生を楽しもう」という順番を、もう少し近くから見てみたい。


目次

対処できることが増えると、心配できることも増えていく

経験の少ないころには、目の前のことだけで精いっぱいだった。

今は、次に何が起きそうかも想像できる。

この予定では、あとで誰かが困るかもしれない。この言い方では、誤解されるかもしれない。このまま進むと、来月には負担が増えるかもしれない。

その気づきで、防げた問題もあるだろう。

人を助けられたことも、暮らしが楽になったこともある。

ただ、先に気づけるようになった分だけ、自分が考える範囲も広がっていく場合がある。

まだ頼まれていないことを準備する。相手が困らないように、先に調べておく。自分が休んでいる間に何かあったらと、連絡を確かめる。

以前より手際よく動けるのに、自由な時間が増えない。

一つを早く終えられるようになった分、次の気がかりへ手を伸ばしているのかもしれない。

僕は、その力がある人へ、ただ「もっと上手にこなそう」と言うだけでは足りないと思う。

今、目の前で起きている問題は何か。

先を見て備えたいことは何か。

自分が想像しているもののうち、まだ確かめていないことは何か。

全部を同じ緊急さで抱えていると、どこまでやれば一区切りなのかが見えなくなる。

気づいたことの全てを、今日、自分が片づける仕事にしていないだろうか。

そこにも、自分の時間を取り戻すための問いがあると思う。


悩んでいない自分が、無責任に感じられることがある

家族のことが、少し気にかかっている。

仕事にも、まだ決まっていないことがある。

そんな日に、自分だけ楽しい予定を入れてよいのだろうか。

問題が残っていることから、楽しむことへ後ろめたさが生まれる場合がある。

気にかけている人ほど、考えるのをやめたら、相手を大切にしていないことになるように感じるかもしれない。

僕は、そこで確かめたい。

その人のために、今、実際にできることは何だろう。

聞いておくことがあるなら聞く。必要な手助けがあれば相談する。返事を待つ段階なら、何を待っているのかを知っておく。

そこまでしたあとも、同じ場面を頭の中で繰り返していることがある。

もっと違う言い方があったのではないか。相手は嫌な気持ちになっていないだろうか。次に何か起きるのではないか。

考えることで、新しい方法が見つかる時間もある。

一方で、新しい情報も、自分ができる対応も増えないまま、同じ問いへ戻っている時間もあるだろう。

その時間の長さで、相手を大切にしているかどうかまで決めなくてもいいと思う。

気にかけることを、自分が休めない理由だけにしたくない。

必要なことをした自分が、今日は好きな曲を聴く。誰かと笑う。眠る。

また話す必要が生まれたら、そのときの相手と向き合う。

そういう関わり方も、大切にする形として持っていたい。

Mkun(えむくん)

気になる人や問題がある日にも、自分が笑える時間を持っていいと思うんだ。今できることをしたあと、ずっと心配している自分でいなくても、その人を大切にする気持ちは持っていられるよね。

Aile(エイル)

今できる対応、相手の返事を待つこと、まだ分からないことを分けると、次に何を確かめるかが具体的になります。考え続ける時間と、実際に働きかけられることは、必ずしも一致しません。


同じ悩みを、前より上手に処理しているだけかもしれない

例えば、休日になると、作業の相談が届く人がいるとする。

最初は、時間をかけて調べていた。今は慣れて、短い時間で答えられる。

相手も助かっている。自分も、前ほど大変だとは思わない。

それでも、出かける前や、家族と話している途中に、何度も手が止まる。

「いつか、気にせず過ごせる休日が欲しい」

そう思いながら、次の連絡にも答える。

その人には、対処する力が育っている。

けれど、休日に自分が対応するという関わり方は、変わっていない。

僕は、ここで、目の前の相談と、その相談が繰り返し自分へ届く形を、両方見たい。

すぐに返す必要があるものなのか。対応する時間を決められるか。ほかにも確認できる人や、共有できる情報はあるか。

担当を決める人や、相談する相手と話すことで、違う形をつくれる場合がある。

毎回、気持ちを落ち着かせて引き受けることに加えて、引き受け方そのものを変える。

僕が「悩みを越える」と言うとき、そこまで考えたい。

同じ場面に慣れ、耐えられるようになるだけでなく、繰り返していたことの前提を見つめ直す。

自分だけで変えられない条件もある。話しても変わらない場合には、役割や関わる場所を見直すことが必要になるかもしれない。

それでも、「今回をどう乗り切るか」から、「これからも、この形を続けたいか」へ問いを広げられる。

一つの悩みを通して、自分の暮らし方を覚え直していく。

その経験が、次の自分を少し自由にすることもあると思う。


楽しんでよい条件を、自分で増やしていないか

仕事が落ち着いたら。

周りが納得してくれたら。

もっと上手になったら。

人生を楽しむ前に、そろえておきたい条件がある。

実際に必要な準備もあるだろう。ただ、その条件が、本当に自分の望みに必要なのかは、一度見てみたい。

例えば、好きな曲を楽器で弾いてみたいと思ったとする。

「この歳から始めても、上手な人にはかなわない」

そう考えて、やめてしまう。

でも、最初に望んでいたのは、誰よりも上手になることだっただろうか。

好きな曲の一節を、自分で鳴らしてみたかったのかもしれない。誰かと演奏して、笑いたかったのかもしれない。

その願いへ、いつの間にか「人に評価されるくらい上手であること」という条件を足している。

「普通は」「この立場なら」「いい年をして」

そんな言葉も、具体的に何が難しいのかを考える前に、自分の願いを閉じることがある。

僕は、必要な条件と、認めてもらうために求めている条件を、確かめたい。

時間や費用が必要なら、その範囲を考える。生活を共にする人へ負担がかかるなら、相談する。

けれど、関わる全ての人が自分の楽しみを好きになってくれなければ始められない、ということにはしたくない。

周りから見れば平凡でも、少し変わっていても、自分が味わってみたい時間がある。

それを自分の人生へ入れる理由にしていいと思う。


問題が減った先に、何を増やしたいのだろう

繰り返していた相談の受け方を見直し、休日に少し時間ができたとする。

ところが、落ち着かない。

やり残したことがある気がする。何か役立つことをしなければと思う。気づけば、次の用事を探している。

問題へ対応することが日常の中心になっていると、何も起きていない時間をどう過ごしたいか、すぐには浮かばない場合もある。

僕は、その空いたところへ、自分の願いを聞いてみたい。

困らない一日になったとして、その日に自分は何を楽しみたいのだろう。

誰と、どんな話をしたいのか。

何をつくり、何を見て、どんな時間を増やしたいのか。

「自分らしく生きたい」という大きな言葉から、実際の一日へ近づけてみる。

楽器なら、最初に弾いてみたい曲がある。誰かと過ごしたいなら、誘ってみたい時間がある。

今はよく分からないなら、気になっていたものへ触れて、どう感じるかを知るところからでもいい。

自分の願いは、考えるだけでなく、過ごしてみて分かることもある。

休む時間が欲しかったのか。誰かと楽しみたかったのか。新しくできることが増えると嬉しいのか。

その発見があれば、次に何へ時間や力を使いたいかを選びやすくなる。

僕は、問題が減ることと一緒に、自分が嬉しいと感じる時間が増えることも、暮らしを考える基準にしたい。

Mkun(えむくん)

落ち着いたら、何がしたかったんだろう。その願いを、今のうちに聞いておきたいね。空いた時間をまた全部用事で埋める前に、自分が楽しみにしていたことへ使ってみたいんだ。

Aile(エイル)

困っていることと、増やしたい時間を両方言葉にすると、暮らしを見直す目的が具体的になります。試して感じたことも、自分に合う時間の使い方を考える材料になります。


年齢を待つより、今日の生き方を変えていく

いくつになれば、悩みから解放されるのだろう。

その問いへ、何歳になれば大丈夫だと、僕は答えることができない。

年齢を重ねても、新しい出来事はある。知らなかった難しさに出会うこともあるだろう。

でも、昨日までと同じ悩み方を、ずっと続けなければならないとも思っていない。

自分が引き受ける範囲を知る。相手の反応を想像するだけでなく、必要なことを聞く。繰り返し困る形が見えたら、関わり方を考え直す。

そうして、一つずつ越えていけるものがある。

その先で、自分はどんな暮らしをしたいかも考える。

ここまでの経験で育てた力を、問題への対応と、自分の理想をつくることの両方へ使っていく。

時間が欲しいなら、今の引き受け方や作業を見直す。選べる仕事を増やしたいなら、必要な力を育てる。人と楽しみたいなら、自分から願いを伝えてみる。

時間の自由、お金の自由、心の自由を、自分が実際に過ごしたい日々へつなげていきたい。

それが、僕が大人3.0として考えたいことだ。

このシリーズでは、その道の途中を、もう少し具体的に見ていく。

できるからこそ抱えてしまうこと。相手が見えるからこそ、自分の願いを引っ込めてしまうこと。大切にしてきた過去があるから、次の選択に迷うこと。

そこにある前提や関わり方を見つめ直し、自分も、関わる人も、それぞれの人生を選べる形を考えたい。

第1話の「泳ぐ場所」は、物事を考え始める場所でもあった。

次の心配を探し続けるところから、今日、何を育てたいかを考えるところへ。

現実に必要な対応をしながら、自分の願いも、その日の中へ迎え入れる。

冒頭の人が、一日の終わりに、もう一つの問いを持てたらと思う。

「今日は、何を片づけただろう」

そのあとに、

「今日は、どんな時間が嬉しかっただろう」

好きな曲を少し弾けた。会いたい人へ連絡できた。いつも繰り返していた困りごとについて、違う方法を相談できた。

その時間には、自分が選んで生きた今日が残っている。

悩み続けることまで、人生の前提にしなくていい。

僕は、悩みを越える中で覚えたことを使って、自分の人生を楽しむ時間を、今日から増やしていきたい。

次の話では、自分にある力を大きくも小さくも見せず、どこへ使うかを選ぶことについて考えよう。

えむくん
Person
Mkun編集室 室長

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