心が自由になったあと、何を望むのか|自由は、人生を始めるための余白

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誰かの返事を待ち続けなくても、今日を始められるようになった。

嫌われないためだけの予定を、少し減らせるようになった。

自分には価値がないのでは、と考えていた時間に、以前ほど一日を預けなくなった。

それは、確かに自由だ。

でも、ある日ふと気づく。

空いた時間に、何をしよう。

誰にも証明しなくていいなら、何を作ろう。

もう誰かの期待だけで生きなくていいなら、私は何を望むのだろう。

守ることに懸命だった頃には、考える余裕もなかった問いが、少しずつ見えるようになる。

心が少し自由になったあと、人生はそこで完成するのではない。

そこから先にも、まだ自分の人生が続いている。

Mkun(えむくん)

こんにちは。えむくんです☺️

前回、私は「自分の人生を、他人の反応に預けない」と書きました。

反応を喜ぶことはやめない。

返事を待つこともある。

誰かに必要とされたら、やっぱり嬉しい。

それでも、最後に何を選ぶかは、自分の手元に置いておく。

今日は、その次の話をしたいと思います。

私がMkunWorldでずっと考えてきたものに、
「心の自由」
「時間の自由」
「お金の自由」
があります。

でも、

心が自由になった。
じゃあ次は時間を自由にしよう。
その次はお金を自由にしよう。
最後は大きな理想を実現しよう。

そんな三段階、四段階の試験を作りたいわけではありません。

今は毎日を回すだけで精いっぱいの人もいると思います。

何かを望むより先に、少し眠りたい人もいる。

お金のことを考えるだけで、不安になる人もいる。

ようやく誰かの顔色から少し離れられたのに、「次は理想を実現しましょう」と言われたら、

「いや、今はそこまで考えられないよ」

と思うことだってあると思います。

それでいいんです。

今日は、「自由になったら何を成し遂げるべきか」ではなく、

少しだけ自分へ戻ってきた余白を、何に使ってみたいだろう。

そんなところから、一緒に考えてみたいと思います。


目次

自由は、何も望まなくなることではない

自由と聞くと、何にも縛られない状態を想像することがある。

働かなくていい。

気を遣わなくていい。

断らなくていい。

失敗しなくていい。

けれど、本当に何も気にしなくてよくなったら、私たちは何も望まなくなるのだろうか。

好きな音楽を聴きたい。

今日は少し早く寝たい。

作りかけのものを、もう一度開いてみたい。

大切な人と笑いたい。

一人で静かに過ごしたい。

もう少し収入を増やしたい。

いつか行ってみたい場所がある。

望みの大きさは、人によって違う。

同じ人でも、そのときの状態によって違う。

「世界を変えるようなものを作りたい」でもいい。

「今日はゆっくりお風呂に入りたい」でもいい。

自由とは、大きな夢を持てる人だけに与えられるものではない。

自分の中に出てきた小さなYESを、「そんなことを望んでも仕方ない」と最初から消さなくてもいい。

そこから始まる自由もある。

Mkun(えむくん)

私は、誰にも期待しない人になりたいとは思っていません。

人が喜んでくれたら、やっぱり嬉しいです。

仕事も、歌も、文章も、誰かに届いたら楽しい。

好きな人たちとは笑っていたい。

心の自由って、そういう喜びまで消すことではないと思うんです。

以前なら、「相手がどう思うだろう」を先に考えて、やりたいことをしまっていた場面でも、

「私は、これをやってみたい」

と思える。

もちろん、それを誰かと一緒にやるなら、相手の気持ちもあります。

私がYESでも、相手はNOかもしれない。

反対されたら話し合えばいいし、合わなければ別の方法を考えてもいい。

私が世界との接点をなくしたいわけではありません。

人と関わりながら、その中に自分の心もちゃんと残しておきたいんです。


心の自由は、時間の使い方に少しずつ現れる

時間は、誰にでも同じ形で空いているわけではない。

勤務、家事、育児、介護、通院。

生活の条件は、人によって違う。

忙しい人に「時間は自分で作るものだ」と言うだけでは、見えていない現実がある。

一日が忙しいことを、心が自由ではない証拠にはできない。

それでも、予定表には載らない時間の使われ方がある。

送った言葉がどう受け取られたのか、何度も頭の中でやり直す。

人の機嫌を悪くしないために、まだ起きていない会話を準備する。

断れなかった頼まれごとに、休息の時間が消えていく。

誰かから返事が来るまで、何となく次のことを始められない。

その時間は、無駄にしていた時間ではない。

そのときの自分なりに、何かを守ろうとして使っていた時間だ。

だから、まず責めなくていい。

ただ、守る方法を少し選び直せるようになったとき、そこに10分だけ時間が戻ってくるかもしれない。

その10分で、何か立派なことをしなくてもいい。

眠ってもいい。

ぼーっとしてもいい。

好きな曲を聴いてもいい。

作りかけのものを開いてもいい。

自由になった時間には、「有意義に使わなければならない」という新しい義務まで置かなくていい。

Mkun(えむくん)

私は、時間の自由を「予定が真っ白になること」だとは考えていません。

自分で決めて忙しい日もあります。

作品づくりに夢中で、気づけば何時間も過ぎていることもあります。

誰かのために、「今日はここに時間を使いたい」と思う日だってある。

同じ一時間でも、

「断れなくて持っていかれた」

と感じる時間と、

「今日は私がここに使う」

と選んだ時間では、心の景色が少し違います。

もちろん、何もかも自由に選べるわけではありません。

仕事もある。

家庭もある。

生活もある。

だから、全部を変えようとしなくていい。

今日は何を優先するか。

今週は何をやらないか。

10分だけでも、自分で決められるところはあるか。

時間の自由って、自分の一日へ、自分自身が少しずつ戻ってくることなのかもしれません。


お金は、心の自由だけでは代わりにならない

お金の話になると、自由は突然、数字で測られやすくなる。

収入がいくらあるか。

どれだけ貯めたか。

誰より稼いだか。

けれど、お金は競争の点数である前に、生活を支える現実的な資源だ。

住む場所。

食事。

医療。

移動。

学び。

休息。

足りなければ、選べるものは現実に狭くなる。

好きなことを考えるより先に、来月の支払いを考えなければならないこともある。

だから、「考え方を変えれば豊かになれる」だけでは終われない。

心の自由は、家賃を代わりに払ってはくれない。

一方で、収入が増えれば必ず心まで自由になるとも限らない。

必要とされ続けるために休めない。

もっと稼がなければ価値がない気がする。

失うのが怖くなり、使うことも止めることもできなくなる。

お金が増えても、自分の決定権が戻らないことはある。

だから、「いくらあれば自由なのか」だけではなく、

「お金によって、どんな選択肢を増やしたいのか」

も考えてみたい。

Mkun(えむくん)

私は、お金を得たいです。

ここは隠さなくていいと思っています。

MkunWorldも、価値を届けながら、ちゃんと収益を得られる場所にしていきたいです。

でも、読者を不安にして、「今買わないと取り残される」と焦らせて得る売上は、私が作りたいものとは違います。

私がお金によって増やしたいのは、

生活を守れること。

無理な依頼を断れること。

必要な道具や学びを選べること。

休みたいときに、休める可能性を増やすこと。

行ってみたい場所へ行けること。

大切なものに、自分の時間を使えること。

そういう選択肢です。

もちろん、今すぐ全部できるわけではありません。

私にも、まだ途中のものがたくさんあります。

だからこそ、「もっと自由になりたい」と思うことまで、遠慮しなくていいと思っています。


心、時間、お金は、一直線の階段ではない

心が自由になったら時間が手に入り、時間ができたらお金が増え、お金が増えたら理想の人生になる。

人生は、そんなに綺麗な順番では進まない。

先に収入の見通しが立つことで、心に余裕が生まれる人もいる。

誰かに手伝ってもらって時間ができたことで、初めて自分の気持ちを考えられる人もいる。

心は少し楽になったけれど、生活のために仕事を減らせない人もいる。

だから、この三つを成績表にはしない。

心の自由は、選ぶための内側の余白。

時間の自由は、何に自分の命の一部を使うかという余白。

お金の自由は、その選択を現実に支える余白。

それぞれが影響し合う。

今は生活を守ることが最優先なら、そこからでいい。

今は心が疲れているなら、休息を先に置いていい。

今は少し元気だから、何か始めてみたい。

それもいい。

そして、もう少し先へ行ってみたいと思う日が来たら、その気持ちまで小さくしなくていい。

Mkun(えむくん)

ここで、MkunWorldで使っている言葉を少しだけ説明しておきたいと思います。

私は、自分を守る境界を持つこと、YESとNOを持つこと、安心や安全を整えること、無理なものから離れられること。

そういう「壊れないための知恵」を、大人2.0と呼んでいます。

でも、守れるようになったところで、人生を終わらせなくてもいい。

少し余白が戻ったら、

「じゃあ、私は何を望む?」

と考えてみる。

もっと時間が欲しい。

もう少し収入を増やしたい。

こんなものを作りたい。

こんな場所へ行ってみたい。

誰かと、こんな時間を過ごしたい。

まだ名前もつけられない何かを、やってみたい。

そういう理想を最初から「無理」で閉じず、現実を見ながら、できる一歩を選んでいく。

私は、その先の考え方を大人3.0と呼んでいます。

大人2.0を卒業して、3.0へ進級するわけではありません。

守る知恵は、そのまま持っていていい。

疲れたら休んでいい。

立ち止まってもいい。

そのうえで、望める日は望んでみる。

私は、そのくらいのところからでいいと思っています。


誰かを大切にする自由も、残しておきたい

他人の反応に人生を預けない。

この言葉は、ときに「人のために何もしない」という意味にも聞こえる。

けれど、自分の人生を自分で選ぶことと、誰かのために時間や力を使うことは対立しない。

大切な人と食卓を囲む。

友人の挑戦を手伝う。

困っている人へ、できる範囲で手を貸す。

作ったものを、まだ会ったことのない誰かへ届ける。

「私は、ここに使いたい」と選んだ時間なら、誰かのために使う時間も自分の人生の一部だ。

ただし、自分に選ぶ自由があるなら、相手にも選ぶ自由がある。

受け取らない自由もある。

今は違うと言う自由もある。

自分が自由になるために、他人を従わせる必要はない。

他人を自由にするために、自分を消す必要もない。

Mkun(えむくん)

私は、誰かを大切にしたい気持ちまで手放したくありません。

好きなら、好きでいていい。

会いたいなら、会いたいと思っていていい。

誰かの役に立ちたいと思う自分も、私の中にいていい。

でも、私のYESと、相手のYESは別なんですよね。

私が望んだからといって、相手まで同じものを望んでいることにはならない。

だから、

自分の一歩は、自分で歩く。

相手の一歩は、相手へ返す。

一歩を差し出すことはできても、二人分を歩くことはできない。

それでも一緒に歩ける場所があったら、私は嬉しい。

そんな関わり方を選びたいと思っています。


「何を望みたいか」が、まだ分からなくてもいい

ここまで読んで、「私には、そんなにやりたいことはないな」と思った人もいるかもしれない。

それでいい。

長いあいだ、

傷つかないこと。

嫌われないこと。

今日をなんとか終えること。

生活を守ること。

そこにたくさんの力を使ってきた人が、急に「あなたの理想は何ですか」と聞かれても、答えられないことがある。

望みがないのではなく、望みを考える場所が、まだ静かなだけかもしれない。

今日食べたいものを自分で決める。

10分だけ休む。

見たかった動画を見る。

誰かに連絡する。

今日は連絡しない。

少し貯金する。

作りかけのものを開く。

そんなところから、

「あ、私はこれが好きだったんだ」

と戻ってくることもある。

理想は、大きな夢だけではない。

自分の人生に、自分のYESが少しずつ戻ってくる。

そこから始まる未来もある。

Mkun(えむくん)

私には、やりたいことがあります。

文章も作りたい。

音楽も作りたい。

仕組みも作りたい。

仕事もしたい。

収入も増やしたい。

行きたい場所もあります。

好きな人たちと笑っていたい。

そして、今の私にはまだ思いついていない未来も見てみたい。

でも、それは私の答えです。

同じものを、あなたが望む必要はありません。

今は休みたい。

それが答えなら、それでいい。

何も浮かばない。

それでもいい。

ただ、

「私は、何を望んでもいいんだろう」

と考えられる余白が少し戻ってきたなら、今日はそれだけでも、かなり大きなことだと思うんです。


今日の観測――自由になった時間を、何に渡したいだろう

最後に、今の自分へ三つだけ問いかけてみる。

「最近、私は何を守るために時間を使っていただろう」

必要な仕事かもしれない。

家族との生活かもしれない。

誰かの顔色かもしれない。

今は自分の心を守るために、休息が必要なのかもしれない。

責めるためではなく、ただ観測してみる。

「その中に、少しだけ自分で使い方を選べるものはあるだろうか」

10分だけ早く寝る。

作りかけのものを開く。

断れる依頼を一つ断る。

家計を見直す。

誰かに助けを求める。

大きな転機でなくていい。

そして、もう一つ。

「その余白を、私は何に使いたいだろう」

休む。

学ぶ。

作る。

働く。

稼ぐ。

会う。

一人になる。

人を助ける。

何もしない時間を楽しむ。

答えが思いつかなくても、構わない。

望みを探せる余白が戻ってきたこと自体が、今日の発見なのかもしれない。


ここまで、私たちは何を観測してきたのだろう

Mkun(えむくん)

ここで、この「Mkunの世界観測室」で最初に歩いてきた道を、少し振り返ってみたいと思います。

全部を覚えていなくても大丈夫です。

気になる問いがあったら、そこからもう一度読んでもらえるように、それぞれの記事への入口を置いておきます。

第0話――世界の見え方に、気づいてしまったところから

最初に考えたのは、「私たちは、世界そのものを見ているのだろうか」という問いだった。

起きたことと、そこから自分が受け取った意味は、同じとは限らない。

自分が見ている世界を、いったん観測してみる。

ここから、Mkunの世界観測室が始まった。

第1話――人は、なぜ自分を守るために人を傷つけるのか

誰かを傷つける行動の奥にも、防衛があることがある。

けれど、理由が分かることと、傷つけた行動が消えることは別。

人を理解することと、自分を守ることを、同時に置くことはできないだろうか。

そんな問いを考えた。

第2話――「敵がいる世界」を、本当に選び続けたいのか

私はなぜ、「この世界には敵がいない」と考えたいのか。

敵ではないから、近づかなければならないわけではない。

離れてもいい。

NOと言ってもいい。

それでも、人そのものを敵として固定しない世界の見方を考えた。

第3話――悪意がなければ、責任までなくなるのか

事情がある。

防衛だった。

悪気はなかった。

それだけでは、起きたことへの責任までは消えない。

理解すること、説明すること、謝ること、許すこと。

それぞれを分けて考えてみた。

第4話――私たちは、自分が信じている世界を見ている

「きっと嫌われた」も、「話せば絶対に分かり合える」も、まだ確認されていない自分の前提かもしれない。

相手の答えを、自分の希望や不安で作らない。

ここでは世界だけでなく、自分自身がかけているレンズも観測した。

第5話――常識は、誰を守っているのだろう

常識は、全部壊せばいいものではない。

安全を守る常識もある。

弱い立場の人を守る仕組みもある。

一方で、昔の事情や多数派の都合が、そのまま残っているものもある。

「常識だから従う」「常識だから壊す」の二択ではなく、その常識は何を守っているのかを考えた。

第6話――理解できることと、理解させることは違う

分かってほしい。

大切な相手ほど、そう思う。

けれど、理解すること、共感すること、同意すること、同じ行動を選ぶことは同じではない。

相手には、自分と違う答えを持つ自由もある。

分かってほしい自分を否定せず、それでも相手の答えまで決めないことを考えた。

第7話――自分を守るOSは、いつまで必要なのか

怖くなる。

疑う。

先に離れたくなる。

それは、自分を守るために覚えてきた反応かもしれない。

だから、消すことを目標にはしない。

必要なときには使い、必要ではないときには別の選択肢も持てるようにする。

守る方法をなくすのではなく、選べる方法を増やすことを考えた。

第8話――人生は、再挑戦が前提のゲームだ

失敗したら、同じ場所でもう一度頑張らなければならない。

そんな意味での再挑戦ではない。

休んでもいい。

方法を変えてもいい。

助けてもらってもいい。

その場所から離れることだってある。

失敗に、次の選択まで奪わせない。

そんな再挑戦について考えた。

第9話――自分の人生を、他人の反応に預けない

褒められたら嬉しい。

必要とされたら嬉しい。

大切な人から返事が来たら、やっぱり嬉しい。

その気持ちをなくす必要はない。

ただ、相手の反応を受け取ることと、自分の人生の決定権まで渡すことは違う。

そして今日、そこから戻ってきた自由を、「では、何に使いたいのだろう」というところまで進めてみた。


大人2.0から、大人3.0へ

この最初の10の問いを書き始めた頃、「大人2.0」と「大人3.0」という言葉は、まだ今ほど明確には定義されていなかった。

考えながら書き、書きながら生き、実際の出来事を通して、少しずつ言葉の輪郭が見えてきた。

だから、この最終話は、現在の定義から書き直されている。

過去に考えたことを、間違いだったことにするためではない。

あのとき見えていたものがあった。

そこから考えた。

生きてみた。

また別のものが見えた。

MkunWorldでいう「大人2.0」は、自分を守る境界やYESとNOを持ち、安心と安全を整え、壊れないための知恵。

そして「大人3.0」は、その守りを捨てて先へ進むことではない。

守れる自分のまま、自分は本当は何を望んでいるのかを考えてみる。

理想を持つ。

最初から無理だと決めつけず、方法を探してみる。

時間、お金、心の自由を増やしていく。

試してみる。

結果を見る。

違ったら、また考える。

社会の平均的な答えだけに、自分の未来を預けない。

大人2.0も、大人3.0も、人間の価値を分けるランクではない。

今は守ることが必要なら、守ればいい。

今日は休む日なら、休めばいい。

そしていつか、「もう少し先へ行ってみたい」と思ったら、その気持ちも大切にしてみる。

MkunWorldでは、人との関係について「恋愛2.5」「恋愛3.0」という言葉も使っている。

これらを含む詳しい定義は、この記事の最後に置いておきます。


世界を観測したあと、自分の人生へ戻ってくる

Mkun(えむくん)

第0話から、いろいろなことを考えてきました。

人は何を守ろうとしているのか。

なぜ、人を敵と呼ぶのか。

悪意という言葉で、責任まで説明できるのか。

自分の前提や常識を、どう観測するのか。

理解したことを、どうすれば強要せずに置いておけるのか。

防衛を使うかどうかを、誰が選ぶのか。

失敗したあと、次の手をどう決めるのか。

そして、その決定権を誰の手に置いておくのか。

いろいろ考えてきました。

でも、世界の仕組みをいくら観測しても、最後に自分の人生へ戻ってこられなければ、私にとっては何かが足りないんです。

私は、分かった人になりたいわけではありません。

気づいたことを使って、ちゃんと生きたい。

私には、まだ作りたいものがあります。

文章も。

音楽も。

仕組みも。

行ってみたい場所もあります。

もっと自由になれたら、やってみたいこともあります。

そしてきっと、これから生きていく中で、今とは違うことを考える私も出てくると思います。

それでいいと思っています。

今日の答えを、永久の正解にしなくていい。

また見えるものが変わったら、また考える。

また選ぶ。

Mkunの世界観測室は、そんな記録でもあります。

心が自由になったあと、何を望むのか。

私は、まだまだ作りたいものがあります。☺️

あなたは、どうでしょう。

もし今、何も浮かばなくても大丈夫です。

「何を望んでもいいんだろう」

と考えられる余白が、少しだけ戻ってきた。

今日は、そこからでもいいのだと思います。

ここまで、Mkunの世界観測室――大人3.0、最初の10の問いに付き合ってくださって、ありがとうございました。

ここで答えを閉じるつもりはありません。

また新しい問いが生まれたとき、一緒に世界を眺められたら嬉しいです。🌎🔭

えむくん
Person
Mkun編集室 室長

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