「次は、自分も一本つくってみたい」
仲間がつくった短い映像を見て、そう思った人がいるとする。
映像に音楽が重なり、何でもない風景が、少し違って見える。自分にも、こんなふうに残してみたい時間がある。
けれど、つくり始めようとすると、気になるところが次々に出てくる。
切り替わるタイミング。文字の読みやすさ。音の大きさ。見ている人が途中で飽きない流れ。
完成した映像を見れば、どこを直すとよくなるかは分かる。でも、自分で同じようにつくれるわけではない。
編集の解説を保存する。使う道具を比較する。参考になりそうな作品を、もう一本見る。
そのうち、仲間から連絡が来る。
「今回も、音の調整をお願いできる?」
それなら慣れている。引き受けて、きれいに整えて渡す。
「やっぱり頼んでよかった」
嬉しい言葉をもらった。その夜、自分の映像のフォルダには、まだ素材だけが並んでいた。
前回は、誰かを助けるとき、その人が自分で試す機会まで引き取らないことを考えた。
今回は、その問いを、自分へ向けてみたい。
誰かの挑戦を支えられる自分にも、これから覚えたいことがある。
今ある力を使いながら、次の自分が育つ場所へ、どう参加していくか。その話をしたい。
分かることが増えるほど、始めにくくなる
何かを経験すると、完成までに必要なものが見えてくる。
見栄えだけ整えても、見る人へ伝わるとは限らない。作業には、表から見えない手間もある。あとで困るところも、ある程度は想像できる。
その目は、これまで育ててきた力だ。
ただ、その目で初めての自分の作品を見ると、足りないところばかりが目に入ることがある。
最初の十秒をつないでみた。でも、参考にしている映像とは、まるで違う。
「この程度では、まだ見せられない」
そう思って、もう少し勉強してから続きをつくることにする。
学べば、新しく気づく不足がある。それも覚えてからにしようと思う。
完成までをよく見ようとするほど、着手する前の準備が長くなっていく。
僕は、ここに少し不思議なことが起きていると思う。
よいものを見分ける目が育ったことで、自分の未熟なものを置いておく場所が、狭くなることがある。
頭の中の完成形と、今の手でつくれるものの間には、距離がある。その距離を知っているから、途中のものを人に見せるのが恥ずかしい。
でも、その間を埋めるために必要なのは、実際に触って知る時間でもある。
知識として分かることと、自分の手で選び、直せること。その二つが近づくには、未熟なままつくっている時間が要るのだと思う。
僕は、自分が見つけた不足を、今日つくるものの課題にしてみたい。
「まだ全部できない」の中から、今回は何を試すのかを、一つ選んでみる。
頼られているのに、自分の望む力が育たない
冒頭の人には、音を整える経験がある。
頼まれれば、相手がどこで困っているかも分かる。仕上がりをよくする方法も思いつく。実際に役立てるし、感謝もされる。
その時間にも、楽しさや学びはあるだろう。
けれど、一日が終わったとき、自分がつくりたかった映像には触れていない。
周りから見れば、活動している人だ。実績も増え、前より頼られている。
本人にも充実感がある。それでも、育てたかった力は、予定の外に残っている。
忙しく動いていることと、望む方向へ進んでいることは、いつも同じとは限らない。
得意なことには、すぐに役立てる安心がある。頼まれたことには、締め切りも、待っている人もいる。
自分の新しい挑戦には、まだ誰も困っていない。明日へ延ばしても、連絡は来ない。
そうして、他人から必要とされる自分が、まだ誰にも知られていない自分を、毎回後ろへ並ばせてしまう。
周りが挑戦を止めたわけではない。その人が映像をつくりたいことさえ、まだ知らないのかもしれない。
僕は、人の役に立つ嬉しさを持ちながら、自分が進みたかった方向も見失わずにいたい。
頼まれた仕事を終えたあとに時間が余るのを待つだけでは、始まらないことがある。
だから、その挑戦のための時間も、自分から予定に置いてみたい。
Mkun(えむくん)頼ってもらえるのは嬉しいよね。その一方で、今日、自分がやってみたかったことにも触れられたかな。まだ誰にも頼まれていない願いを、自分が忘れずに持っていたいんだ。



慣れた仕事が増えることと、新しい技能を試す機会が増えることは別です。活動の量だけでなく、どの経験に時間を使ったかを見ると、進みたい方向との違いが分かります。
できる自分の隣に、初心者の自分を座らせる
いつも頼られる側にいると、教えてもらう側へ回りにくくなることがある。
音のことなら、自分が答えられる。でも映像の編集では、基本的な操作から聞きたい。
「そんなことも知らないの?」
そう思われる場面を想像して、質問を飲み込む。
一つの分野で積んできた経験が、別の分野の初心者でいる自分を、許しにくくしているのかもしれない。
僕は、そこをもう少し自由に持ちたい。
「音の調整は、今回も担当できるよ。それと、次は映像もつくってみたい。短い場面を一つ、試しに編集させてもらえないかな」
今ある力と、これから育てたい力を、同じ会話へ置いてみる。
相手にも予定があるから、まず練習用に別のものをつくろうという話になるかもしれない。完成版へ入れるかは、できたものを見てから決める形もある。
そうやって、初めての自分が参加できる場所を具体的にする。
そこで教えてくれる人は、自分より若いかもしれない。普段は、自分が別のことを教えている相手かもしれない。
「そこ、どうやっているの?」
聞いてみると、その人が普段どれほど細かく考えてつくっているかを知る。
今まで完成品だけを見ていたときには、気づかなかった工夫も見えてくる。
自分に得意なことがあるように、その人にも積んできた時間がある。
教わることで、自分の経験が消えるわけではない。持っているものを使いながら、持っていないものを受け取れる。
前回、相手が試せるように戻した手を、今回は自分も動かしてみたい。
使ってみると、「足りない」の中身が変わる
短い映像をつくって、仲間に見てもらったとする。
自分は、画面の切り替えが地味なことを気にしていた。もっと凝った動きを覚えなければと思っていた。
けれど、返ってきたのは、違う言葉だった。
「最初の景色は好き。ただ、文字を読み終わる前に次へ進んじゃった」
自分は文章を知っているから、すぐ読めていた。初めて見る人には、もう少し時間が必要だった。
そこで、文字を出している時間を延ばす。スマートフォンの画面でも見てもらう。
今度は、「最後まで読めた」と返ってくる。
派手な切り替えを増やす前に、確かめることがあった。
自分の目では見えていなかった問題が、届けた相手の目から見えてくる。反対に、自分が大きく気にしていたことが、今回の目的ではそれほど重要ではないと分かることもある。
一人で準備している間は、考えられる不足を全部並べやすい。
実際につくって渡すと、今、この相手に届けるために必要なことが具体的になる。
もちろん、一人の感想だけで全てを決める必要はない。誰に、何を伝える映像だったのかへ戻って、直すところを選ぶ。
僕は、その往復の中で、自分の見方も育てたい。
先に気づくことが得意でも、経験する前には気づけないことがある。
それを知るためにも、今の力で一度、形にしてみる意味があるのだと思う。
振り返るとき、自分が喜んだところも見る
一本を仕上げたあと、直したい点はいくつも見えるだろう。
時間がかかった。思いどおりに動かせなかった。誰かの手を借りた部分もある。
できることを増やしたい人ほど、その不足を次の課題にしようとする。
ただ、そこで見るものが足りなかったことだけなら、完成した喜びは、いつ受け取れるのだろう。
つくりながら、夢中になった瞬間もあったはずだ。
音と映像が合ったとき、何度も再生した。自分が選んだ景色を、好きだと言ってもらえた。直したところが伝わった。
僕は、そこも次に持っていきたい。
どこで手が止まったかと一緒に、どこへもっと時間を使いたくなったかを見る。
映像をつくってみて、実は音を合わせる作業がいちばん好きだと気づくこともあるだろう。それなら、前から得意だったことへ、新しい面白さを持って戻れる。
全体の流れを考える方が楽しかったなら、次はそこをもう少し担当してみたい。
試した結果から、自分が育てたい方向そのものが変わることもある。
挑戦したのだから続けなければならない、と決めなくてもいい。
僕が知りたかったのは、できるかどうかと、その時間を自分がどう感じるかの両方だったはずだ。
仕上げたものと、つまずいたところと、嬉しかったところ。その三つが残れば、次は前より具体的に選べる。



何ができなかったかは、すぐ見つかるかもしれないね。でも、「ここをつくっているとき、楽しかった」も残しておこう。次の自分が進みたい方向は、その中にもあると思うんだ。



完成したものや、そのときの工夫が残ると、次に使える経験になります。成果と課題に加えて、自分が続けたいと感じた部分も確かめることで、次の役割を選びやすくなります。
次の自分が選べることを、今日の経験で増やす
次の企画の話が来たとき、その人は以前と少し違う返事ができる。
「音を整えることはできる。それと、短い映像を一本つくったので、今回はこの部分も担当してみたい」
まだ何でもできるわけではない。
でも、やってみたいと想像していたことに、自分の経験が一つ加わっている。
どこで時間がかかるかを少し知っている。誰に相談できるかも分かる。前につくったものを見せながら、話すこともできる。
経験があると、引き受け方も断り方も具体的になる。
「この長さならできそう」
「今回はそこまでの時間は取れない」
「この部分は、詳しい人と一緒に進めたい」
できることが増えた分だけ仕事を増やすのではなく、自分が選べる関わり方を増やしていく。
同じ作業を少し楽にできるようになれば、別のことへ使える時間が生まれる。つくったものを見て、新しい相談をしてくれる人もいるかもしれない。
その機会の中から、楽しみたいことや、仕事にしたいことを選んでいける。
僕は、自分の力を育てることを、そうやって暮らしの自由につなげたい。
始める前に見えていた理想へ近づくだけでなく、やってみた自分だから気づく楽しみもある。
仲間の得意なことを知り、一緒につくれるものが増える。今まで見る側だったものを、自分の言葉や手で届けられるようになる。
その広がりを、僕は味わってみたい。
大人3.0として考えたいのは、自分の望む人生へ、持っている力を実際に使って参加することだ。
役に立てる自分にも、まだ教わりたいことがある。
先が見える自分にも、やってみなければ分からないことがある。
だから、全部が見通せる日を待たずに、今、試せる形をつくってみる。
あの夜、素材だけが並んでいたフォルダに、短い映像が一本増えている。
それを見る自分には、直したいところも、次につくりたいものも見えている。
今度は、知識だけで思い描いた次ではない。自分でつくった時間の先にある、次の一歩だ。
僕は、その一歩を重ねながら、次の自分を育てていきたい。
約1か月前に制作した作品です。↓↓↓











