「分かってあげたい」が、子どもを不安定にする理由

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今日は、
少しだけ深呼吸してから読める話です( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

ちゃんと分かろうとしてきた人ほど、
ふっと力が抜けるかもしれません。

ここから先は、
やさしさを減らさないまま、
少し軽くなるための文章です。


目次

“分かってあげたい”が、子どもを不安定にする理由

この文章は、
「ちゃんと分かろうとしてきた人」のために書いています。

否定するための記事ではありません。
考え直させるための記事でもありません。

ただ、
分かろうとした結果、
少しだけ苦しくなった瞬間を、
やさしくほどいていきます。

分かってあげたいと思うのは、親として自然なこと

つらさを、言葉にしてあげたい。

気持ちを、代わりに整理してあげたい。

ひとりにしたくない。

その気持ちは、
親として、とても自然なものです。

分かってあげたい気持ちは、愛情そのものです。

ここに、
間違いはありません。

言葉にしたあと、なぜか落ち着かないことがある

気持ちを全部、言葉にしたはずなのに、
なぜか不安が残る。

同じ話を、
何度も繰り返す。

分かってもらえたはずなのに、
感情が、むしろ強くなる。

そんな瞬間があります。

「あれ?」と、
小さな違和感が残ることも。

理解は、ときに“引き受け”になる

理解することは、
いつも「共有」になるとは限りません。

ときどき、
「預かる」になることがあります。

分かってあげることが、
いつの間にか
「代わりに持つ」になっていることがあります。

悪気はありません。
むしろ、とてもやさしい行為です。

でも、
その重さが、
少しずつ積み重なることがあります。

感情を預かると、境界線が曖昧になる

誰の気持ちなのか、
分からなくなる瞬間があります。

親は疲れ、
子どもも、なぜか不安定になる。

領域が、
少しずつ混ざっていく感覚。

これは、
③で触れた「境界線」が、
やさしさの中で曖昧になっている状態です。

誰かが悪いわけではありません。

戻る余白があると、人は落ち着く

距離があることは、
冷たさではありません。

ひとりで整理する時間。

少し放っておかれる安心。

その余白があると、
人は、自然と落ち着いていきます。

親が、
全部分からなくてもいい。

分かろうとしすぎない選択もある

聞くけれど、背負わない。

受け取るけれど、預からない。

その場で、結論を出さなくていい。

やさしさを残したまま、
少し引く選択もあります。

分かってあげることは、
一緒に背負うことじゃなくていい。

次の記事

分かろうとしすぎなくても、
子どもはひとりで戻る力を持っています。

最後に、
安心させる親と、
入りすぎない親のちがいを
まとめます。

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